trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

思わぬ冒険②

補足ながら、1月5日に母の実家から父の実家に移動し、金市舘での買い物から帰宅してテレビをつけると、ちょうどお正月のアニメ映画放送で
「きかんしゃやえもん D51のだいぼうけん」
という作品を放送していて、北見時代にスクリーンで見ただけにうれしく、他のみんなは見たい番組がなかったようなので、そのまま終了まで見ました。
74年公開で、水木一郎さんの歌う力強く勇ましいオープニングをバックに蒸気機関車D51の実写の走行シーンが流れ、スクリーンで実際に見た感動が蘇りました。
「岩波子どもの本」シリーズの一つで阿川弘之さん作の「きかんしゃやえもん」が原作の映画でしたが、クラスでいじめられていた少年が、おじいさんに擬人化されたD51と仲良しで、D51も電気機関車やディーゼル機関車たちにバカにされて肩身が狭かったのが、ある日、2人して町の大泥棒を追っかけて仕留め、少年がいじめっ子たちから、D51も他の車両たちから賞賛を浴びるというハッピーエンドを迎えるものでした。

翌1月6日の朝、寝ていた父の実家の奥の部屋で目が覚めて居間に出ると、従兄のMBさんと従弟のHY君は先に起きていて、祖母が台所で朝ご飯を作っている音が聞こえました。
時計を見ると5時40分で、これから乗る急行列車が始発の網走を出たところでした。
ご飯と味噌汁、焼き魚に卵焼きと、祖母お手製の定番の朝ご飯をみんなして食べ、支度をして、6時ちょうどくらいに、前日に予約していたハイヤーで北見駅に向かいました。
ハイヤーで北見駅に向かうのは北見から釧路に移ったとき以来4年振りでしたが、その時は駅すぐ南方にあった、警報機無しで手動式遮断機のみの踏切のある商店街を通っていたのが、その踏切が歩行者自転車用の跨線橋に変わり、その跨線橋の更にすぐ南にできた自動車用跨線橋を通ったので、新鮮な一方、父の行きつけのホルモン屋さんや保育園の同級生のお肉屋さんラーメン屋さんがあった商店街を経てその踏切を渡ったのが懐かしくもありました。
駅に着くと、正月の帰省での客でごった返していて、その多くが、これから僕たちが乗る札幌行き急行列車を待っていました。
祖母が従弟を連れて窓口で切符を買っている間、僕は従兄と待合室にいました。窓のすぐ前の1番ホームに、前年夏休みに乗った急行「大雪5号」の寝台車が見え、ディーゼル機関車の
「ピョー!」
という汽笛で、6時15分に普通列車となって網走に向けて発車しました。後年、その普通列車で、父が美幌の高校に通っていたことを知りました。
切符を買ってきた祖母が従弟と共に待合室に来て、わずかな間に一緒におしゃべりにふけると、6時20分くらいに改札開始のアナウンスがあり、他の大勢のお客さんと共にみんなして改札に並びました。
ところが、僕と従兄が先に改札を出たところで祖母が改札の人に足止めされ、どうしたかと思ったら、乗車券はあっても急行券がなく、車掌さんから急行券を買うように言われたということでした。
跨線橋を渡り、主に旭川・札幌方面の列車が出る当時の4番ホームに出ると、まだ暗い中、6時34分に網走からライトを明々と照らして急行「大雪1号」が入ってきました。祖母がグリーン車の乗務員室の窓に声をかけて車掌さんを呼び、窓口で事前に買っていなかった旨を話して僕たちの分の急行券を2枚買ってくれました。1枚350円が2枚で700円で、窓から顔を出した車掌さんに1000円札を渡してお釣り300円を受け取り、僕たちに乗車券と共に渡してくれました。
お土産や着替え、そして車内で喉が渇いたときに飲むように入れてくれたヤクルトの入った荷物を従兄と手分けして持って、5分停車後の6時39分
「ファーン!」
という、ディーゼルカー独特の汽笛と共に、祖母と従弟に見送られて、大混雑の中、札幌に向かいました。

季節が年始で冬で暗く寒かった以外は、「大雪5号」の発車を見届け、「大雪1号」に乗って札幌に向かったことが、まさに北見の保育園時代に初めて札幌に行ったときと全く同じ状況でした。そして何より、着の身着のままで行きは21歳の名寄の従兄が運転する車で来たのが、帰りは大人の同伴がなく9歳の自分と10歳の従兄の2人きりで、行き以上の「冒険」が始まろうとしていました。
スポンサーサイト
  1. 2017/11/21(火) 09:24:49|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

再び父の実家へ

母の実家での夜が明けた正月5日、祖母と伯母が用意した朝ごはんを終え従兄弟2人と遊んだりおしゃべりをして、昼ごろに再び父の実家へ行きました。
岩見沢から北見まで車に乗せてくれたHN兄さんは既に名寄に帰り、白石は北郷の従兄MBさんと一番下の叔母の従弟HY君そして祖母がいました。祖父は当時北見駅から貨物の引き込み線が通じていた日清製粉北見工場での守衛でいませんでした。
お茶やお菓子をご馳走になった後、3時くらいに4人して駅前の金市舘(後のラルズプラザ→閉店、解体)という、着物と衣料品と食料品・雑貨主体のデパートへ買物に行きました。
初めに祖母について着物や衣料品のコーナーを見、次に僕と従兄弟主体でおもちゃ売り場を見て、HTB(北海道テレビ)で放送されていた「5年3組魔法組」という子供向け実写ドラマで使われていた7つの魔法の道具のプラモデルセットがあり、気に入ったので買ってもらいました。
当番組は、76年12月から77年10月までテレビ朝日系で夜7時から放送されていて、今は亡き曽我町子さん演じる魔女からもらった7つの魔法の道具を駆使して、とある小学校の5年3組の5人の級友が、魔女の意地悪に遭ったり助けを得つつ、騒動を起こしたり人助けをするドラマで、僕も毎週のように見ていて、思い入れがあっただけに、その魔法の道具のプラモデルを見つけたときはうれしく、鉄道模型みたいに高いものでなかったので買ってもらいました。
最後に地下の食料品売り場に行き、お惣菜コーナーを回ったとき、祖母が
「ザンギでも買って行くかい?」
と話しました。
「ザンギ」の名前は北見と釧路にいたときは全く知らず、札幌に来て給食のメニューで初めて知り、母に意味を聞いたら、鶏の唐揚げと知りました。もっとも、通常の唐揚げと違って衣に濃い味がついていることを更に後になって知りましたが。
買い物を終えて帰宅すると夕方5時になり、5時5分にすぐそばの国鉄北見機関区の、浴場の建物に設置されていた汽笛が
「ポーッ」
と鳴りました。僕が生まれる以前から、北見機関区は朝8時と夕方5時5分に汽笛が鳴っていて、要は勤務交替の合図のようでした。
祖母が作ってくれた夕食を4人して食べて、昔ながらの薪で沸かしたお風呂に入り、テレビを見てくつろいた後、一番下の叔母方の従弟HY君が、当時公開のアメリカ映画「コンボイ」に登場したトレーラートラックのラジコンを持っていて、北郷の従兄と共にリモコンを順番に回して操縦して遊びました。そのトラックが、後に日本の某俳優とのカップうどんのCFで一層有名になるとは。
テレビを見たりラジコンで遊んで楽しみもたけなわとなったところで、札幌の父から電話が来て、祖母に切符を買ってもらって翌日の列車で従兄と一緒に帰るようにということでした。前年の夏休みに寝台車で札幌から北見に行ったことが浮かんだので、無理を承知で寝台車で帰りたいと言うと
「寝台はダメ、朝一番の急行で」
と、案の定でした。

寝る前に部屋の襖張りの扉に貼られていた北見駅の時刻表を見て、祖母に北見と札幌方面とを結ぶ列車の話をし
「ばあちゃんは札幌に行くならどの列車に乗るの?」
と聞くと
「大雪5号だ」
と言って、旭川方面への欄の一番最後に載っていた札幌行き上り夜行急行「大雪5号」の列車名と発車時刻に目をやりました。前年夏休みに下りの同じ列車で札幌から北見に行っただけに、今度は上りの夜行で北見から札幌に帰ってみたいと思いました。
更にもう少し詳しく時刻表を見ると、特急・急行が赤文字なのに対して黒文字で記載の普通列車に、上りが小樽行き、下りが札幌発というのがあり、上りが網走→小樽、下りが札幌→網走の運転で、共に車両種別の欄に「気」でなく「客」と表示されていたので、気動車でなく客車で、夜行の「大雪」同様、旭川以東の石北本線内がDD51形ディーゼル機関車、以南の函館本線内はED76形電気機関車が引いていることが容易に想像つきました。
気動車の特急・急行でなくても機関車が引く客車鈍行で札幌から北見まで往復できると知り、こちらもぜひそうしたい思いを胸に、従兄と従弟して祖母よりも先に夜9時に寝ました。
  1. 2017/11/14(火) 07:39:43|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

母の実家へ

岩見沢からそのまま札幌に帰るはずが急きょ北郷の従兄と共に名寄の従兄の車に同乗し、一銭も持たずに着の身着のままで、北見は泉町の父の実家に着いた翌4日、父方の祖母に呼んでもらったハイヤーで、今度は市内三楽町の母の実家にお邪魔しました。
伯母夫婦も経営するクリーニング屋さんが正月休みで自宅にいて、共に学校が冬休みの従兄2人と祖母が全員揃って迎えてくれました。祖母に
「札幌に引っ越すときに手伝ってくれてありがとう」
とお礼を言うと、中学2年になる上の従兄が
「おお、お前偉いぞ!」
と褒めてくれました。
ちょうどお昼時だったので、祖母と伯母が作ってくれたお昼ご飯をみんなして食べ、隣で獣医と鍼灸院を営む大伯母夫婦のところにも祖母と一緒にあいさつに行きました。
隣の大伯母が
「札幌のOCさんのところに行ったかい?」
と聞いてきたので、札幌に引っ越して2回お邪魔したことを話しました。
母の実家隣の大伯母WCさんの家は、帯広に行ったときにもお邪魔したOCさんの奥様の実家でもあり、また奥様には北見市内に兄夫婦とその息子さんが3人いて、夏休み等に祖母とこに行くと大伯母宅にそのお兄さん一家が来ていることが多く、よくご一緒したものでした。
このときはそのOCさんのお兄さん一家は来ていず、大伯母宅を出て祖母と伯母と近くの商店街に行き、なじみのスーパーで買い物がてら学生服も扱っていたなじみの呉服店にもあいさつに行きました。
大伯母宅や呉服店へのあいさつと買い物が済むと夕方で薄暗くなったので帰宅し、テレビを見て夕食を待ち、食後もしばらくテレビを見て、商店街の「三楽湯」という銭湯に行きました。
母の実家は当時お風呂がなく、いつも銭湯か隣の大伯母宅のお風呂に入りに行っていました。北見には当時父の実家近くにも「梅の湯」という銭湯があって、実家にかつて隣接していた僕の自宅にもお風呂がなかった北見時代は「三楽湯」と共によく入ったものでしたが、「三楽湯」には通常の湯船と共に湯が白濁した「薬湯」があり、更には脱衣所の男女の仕切りに水槽があって金魚や鯉や熱帯魚が泳いでいたので、個人的には泉町の「梅の湯」よりも好きでした。
銭湯から帰ると再び従兄たちとテレビに興じ、夜9時になったので寝ました。
  1. 2017/11/09(木) 16:06:58|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

思わぬ冒険①

酔っ払った伯父たちに絡まれて逃げるように寝た翌正月3日、朝無事目が覚めて父や伯父たちも酔いが覚めて絡んで来なくなり、伯母が用意してくれた朝ごはんをご馳走になり、後は前月岩見沢にお邪魔したとき同様札幌に直帰するものと思っていました。
ところが名寄の上の従兄HNさんが車で北見に行くことになり、北郷の従兄MBさんも一緒に行くというので、それならと僕も同行することにしました。ちょうど名寄の下の従兄TYさんが車で名寄に帰り、妹が彼についていくというので、なら自分は北見にという具合でした。
朝10時ごろ、父と北郷の伯父は車で札幌に帰り、妹はTYさん運転の車で名寄へ、そしてMBさんと僕はHNさん運転の車で北見へとそれぞれ向かいました。
雪が積もる中、伯母宅前の国道12号線を初めて車で北上し、列車とはまた違う車窓に、思わず顔を窓に近づけました。僕は後方の席に、MBさんは助手席に乗りました。
車が滝川辺りに近づいたころ、HNさんがサングラスをかけ、カーステレオにカセットテープを入れると、曲名はいまだ知りませんが、歌中で
「おじさんおじさんおじさんおじさん♪」
と連呼する、当時流行っていたロック調のコミックソングが流れて、それに笑みを浮かべると、HNさんに
「何ニヤニヤしてるんだ?」
と笑われました。ちょうど車窓左手遠方に国鉄函館本線が見え、札幌方面に向かってディーゼル特急が走って行きました。
美唄・砂川・滝川・深川と空知管内の主立った町を過ぎ、石狩川の両岸にこつごつした崖が迫る渓谷が風光明媚な旭川の神居古潭(カムイコタン)に差し掛かると、ちょうどお昼時だったので、ドライブインに寄りました。
メニューを見て、それぞれ好きなメニューを頼む中、僕は肉うどんを頼み、当時肥満体だっただけにHNさんに
「肉うどんなんて太るぞ」
とからかわれました。
食事が済むと、再び車に乗り、旭川の市街地を経て、国道39号線に入り、国鉄石北本線とはまた違う車窓が目に入り、くぎづけになりました。思えば北見の保育園に入った72年のGWに、母方の従兄と祖母とその親戚たちとで車2台して旭山動物園に行ったときも国道39号線に乗りましたが、そんなことなど忘れて、初めての気分で39号線の風景にのめり込みました。上川に近づいた辺りで石北本線と並走し
「北見行」
の行き先表示板が掛かっていたディーゼル急行が走って行きました。
車は39号線のハイライト・層雲峡と石北峠に差し掛かり、白銀の世界の雪道だけにHNさんが注意して運転し、ようやく山を越えて車窓左手に後に水銀鉱山と知るイトムカ鉱山とその鉱業所が見え、留辺蘂町(現・北見市)に入りました。
留辺蘂に入れば北見はもうすぐで、父の実家が近づくだけにワクワクしました。HNさんがカーラジオをつけると、ちょうど「おはよう!こどもショー」で当時流れていた
「キリンさんキリンさんどうして~お首が長いの~♪」
という優しい内容の「キリンさん」という歌が流れ、朝の子供番組で聴いた曲が大人の運転する車のラジオから流れてきた意外さに驚きもし、喜びもして、夕方4時ごろ、北見の父の実家に着きました。
祖父母と一番下の叔母の5歳になる従弟が外に出て迎えてくれ、家に入って6人して夕食とお風呂にありつき旅の疲れをいやしました。北郷のMBさんと共に前日から着の身着のままで、当日になり札幌に直帰するところが一銭も持たずにHNさんの車に同乗しての北見は、親同伴とは違い、ちょっとした冒険気分で爽快でした。
  1. 2017/11/06(月) 21:05:17|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

再び岩見沢の伯母宅へ

78年の正月2日になり、みんなして朝ごはんを食べ、僕は父と妹と下の従兄とで、前月にお邪魔した岩見沢の伯母のところに新年のあいさつを兼ねて遊びに行きました。
朝8時か9時くらいに家を出てバスで地下鉄北24条駅へ、そこから地下鉄でさっぽろ駅に出て国鉄で岩見沢駅に着き、バスで伯母のところに着きました。
伯母の主人と名寄から従兄2人、白石区北郷の伯父も来ていて、決して広くない家は満杯ながらもにぎやかでした。
父や伯父たちがつまみ片手にビールで一杯やっている脇で、僕と妹と北郷の従兄たち子供組は、伯母が作ってくれたチャーハンとソフトドリンクをご馳走になりました。テレビをつけるとちょうどHBCで「お正月だよ!クイズダービー」をやっていて、篠沢教授やはらたいら始めレギュラー解答者はいつも通りで、解答者に点数を賭けるチームが北海道や東北・関東から九州までとブロック別で、正月だけにいつもと趣向が違いました。
番組が終わるとテレビを消し、父や伯父たちも大分アルコールが回って、騒がしくなりました。その騒がしさは暗くなって一層エスカレートし、北郷の伯父が当時テレビで流行った「電線音頭」を歌い踊ったり、岩見沢の伯母と妹が童謡「しかられて」を歌ったりしました。
そのうち、父と伯母の主人と北郷の伯父が僕に下ネタ混じりの話を振ってきて、マトモに受け答えしていると、伯父たちが名寄の従兄2人と共に絡んできて、半泣きしそうになり、伯母が僕をかばって
「早く寝なさい」
と、既に布団が敷かれたふすまの向こうの寝室に入れてくれました。
急に泊まることになり寝間着もなく着の身着のままで布団に入ると、北郷の伯父が酔っ払って寝室に入ってきて、先に絡んできた勢いで
「おう、またお前をいじめにきたぞ!」
と叫んできました。更に
「お前、服着たままだろ」
というので、寝間着も持って来てないし、さりとて脱いで寝るのは寒いことを言うと
「脱いで寝れー!」
と言ってきましたが、マトモに相手にせず、妹や従兄たちよりも先に寝付きました。
  1. 2017/11/05(日) 19:49:13|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ