trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

初めての列車の旅

本来ならブログ開始のころに書くところでしたが、初めて北見から札幌に行った記憶の陰に隠れて印象が薄く省略したのが、最近になって鮮烈に思い出されてきたので、今ここで書きます。

北見時代の、まだ物心がつく前の2歳のときでしたが、父と2人で、当時本別に住んでいた父方の伯母夫婦のところに初めて行きました。
仕事から帰ってきた父に連れられて、薄暗い夕方6時くらいに北見駅に行き、改札を抜けて跨線橋を渡って、2番線と4番線のホームの南側に当時あった切り欠きホームの3番線に止まっていた国鉄池北線(後にJR→北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線、2006年4月廃止)のディーゼルカーに乗りました。思えばこれが人生初の列車の旅でした。跨線橋を渡る前に改札側の1番線に立ち食いそばがあり、こうこうと明かりが照る店内に眼鏡をかけたおばちゃんが立っていました。きっと駅を利用する通勤通学や旅行客のおなかを以前から満たしていたのでしょう。
暗闇の中、列車は汽笛を鳴らして、一路池北線を南下して池田に向かいました。僕はまだ2歳で、ディーゼルカーに乗った以外は列車がどこ行きとか何駅に止まったことなどわかりませんでしたが、外が真っ暗で車窓から何も見えない中、線路沿いに照らされていた「Fanta」の看板だけがくっきりと見えました。当時は線路や道路沿いに「Fanta」や「Coca-cola」の看板がよく立っていて、テレビCMと併せてすっかり製品名が幼心にも刷り込まれました。
よくわからないまま時間が過ぎて、夜9時前だったと思いますが、十勝管内の本別駅に着き、伯母夫婦の家にお邪魔しました。
夜遅かったので、父は伯父と一杯やり、僕はそれをただぼんやり眺めて、間もなく布団に入りました。伯母が横に来て、子供向けの本を読んでくれました。伯母宅には2人の従兄がいて、その従兄のために買った「ピノキオ」等の世界の童話の本がずらりと並んでいて、伯母夫婦がそのうちの「ピノキオ」を僕にくれました。

翌朝起きて、父と朝ごはんをごちそうになりました。焼いた塩鮭のほぐし身をご飯に乗せてお湯をかけただけの、気持ち薄味のお茶漬けを食べました。自宅ではお茶漬けは「お茶漬け海苔」をかけていただけに、塩鮭とお湯だけのお茶漬けは当時の僕には物足りない気分でしたが、そのシンプルなお茶漬けのおいしさは、大きくなって一人暮らしで自炊して初めて知ることになりました。
朝ごはんが済んで、帰りは伯父が車で北見まで乗せてくれました。車の窓は手動ハンドルで回すのでなく、ボタンを押して電動で開け閉めするタイプで、70年の当時としては実に先進的で度肝を抜かれました。
車は行きに乗った国鉄池北線にほぼ沿うように道路を走り、その両脇は一面の畑や牧場が広がって、昔から続く十勝の農業の広大さが感じられました。
いつしか車は網走管内に入り、林業が盛んな置戸や訓子府らしく木々が目立ちました。池北線の線路が車窓右手に移り、線路の向こうに上常呂駅から引き込み線が通じていた製糖工場と後年知る白い建物の工場が見え、ようやく北見の自宅に帰りました。伯父は隣接する祖父母宅の前に車を止め、祖父母宅にお邪魔してお茶を飲んだり何なりして本別に帰りました。

その後、僕が保育園に入った72年にその本別の上の従兄が、翌73年に下の従兄が北見工業高校に入り、共に祖父母宅に下宿して通いました。従兄2人は妹には優しく僕には少々意地悪いところがありましたが、それでも一緒に遊んでくれました。
その間、伯母夫婦は伯父が勤めていた電電公社の転勤で名寄を経て岩見沢に移り、僕も父の転勤で釧路を経て札幌に移って互いに近くなり、再会することになりました。従兄2人は高校卒業後伯父と同じ電電公社に勤め、共に名寄勤務になりました。
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  1. 2017/05/01(月) 10:53:40|
  2. 鉄道
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コメント

驚くべき、記憶力

 リオ様、当時2歳の記憶ですか? 凄い記憶力ですね。自身には2歳の記憶が全くありません。
それにしても、懐かしいキーワード、電電公社。沿線にはファンタ、カンコー学生服、ミリンダ等金属看板が懐かしいですね。
70年代初期のパーワーウインドーの車の乗っておられた叔父様は、ハイカラでしたね。
当時の池北線は賑わっていたのでしょうね。駅のホームの立ち食い蕎麦も道内から少しづつ姿を消しつつあります。昭和の国鉄時代の駅は、風情がありましたね。
  1. 2017/05/06(土) 20:41:17 |
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  3. 釧路訪問記、管理人 #-
  4. [ 編集 ]

Re: 驚くべき、記憶力

釧路探訪記管理人様、返信遅れて申し訳ありません。コメントの通知メールが来ていなくてまだコメントがないものと思っていたら、コメントがあって恥ずかしくなりました。
2歳の記憶、確かな部分もありますが、脚色もあると思いますのでご了承を。

国鉄、電電公社、専売公社等の社名、鉄道沿線のファンタ、カンコー学生服、ミリンダ、加美乃素等の金属やホーロー看板が懐かしいです。
カンコーは「菅公」の表記もあり、何故その表記なのか心に引っ掛かっていましたが、最近新聞で「菅公学生服」が正式社名で、学問の神様・菅原道真公が由来と知り、生徒に制服を提供して勉強に励んでもらうであろう企業理念がひしひしと感じられました。

70年代初期のパワーウインドーの車に乗っていた伯父は、何て進んでいたのかと子供心にも思いました。父が自転車で工場に通勤していて、まだ車を持っていなかっただけになおさら。

石北線もですし他の国鉄線もそうでしょうが、当時の池北線のにぎわいは乗客の多さもさることながら、置戸等の沿線の駅の貨物ホームに丸太が山積みされていたところからも感じられました。沿線が林業が盛んで、扱う貨物も丸太や角材等の林産物が多かったようです。
列車も池田・置戸~北見間の線内完結の普通列車ほか新得・帯広~北見間の根室線直通の普通列車、そして帯広~北見間の急行「池北」もあったのを後年時刻表で知り、にぎわいが一層感じられました。

駅のホームの立ち食い蕎麦、道内から少しづつ姿を消しつつあるようですね。最近では7年前に倶知安駅から立ち食いそばが姿を消しましたが、倶知安の立ちそばは2度食べただけに寂しかった。北見駅に至っては10年前に閉店していて驚きました。

昭和の国鉄時代の駅は、構内の立ち食いそばや売店もですし、何より駅舎が味がありました。北見駅も大正時代に開業した、屋根に札幌の時計台を彷彿させる時計が載っていた赤い屋根の木造モルタル駅舎が好きでしたが、いつの間にか建て替えられていて寂しくなりました。
  1. 2017/05/09(火) 11:47:49 |
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  3. trainrio #-
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