trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

初めてのさっぽろ雪まつり①

もしかすると、前の週だったかも知れませんが、やはりしっくりするので、こちらの日付にしておきます。

初めてのスキー遠足を楽しんだ翌2月11日は、土曜日にして祝日の建国記念の日で学校はお休みで、父も会社が休みでした。
午前中家でくつろいだ後、既に6日から始まっていた「さっぽろ雪まつり」に家族して初めて行きました。
事前に大通会場と真駒内会場があるのを知り、かつ真駒内の方が広い場所柄雪像が大きく大通よりも目玉だけに真駒内も行きたいと思いましたが、夕方だったのでその日は大通に行き、真駒内は明日の楽しみということにしました。
バスで北24条駅まで行き地下鉄に乗り換え、大通駅で降りて会場に出ると、土曜日だけに人だかりがすごく、毎冬テレビで報じられるだけありました。
自衛隊の人たちが造っている苦労など知りもしないで、様々な雪像と人だかりのにぎやかさを堪能しましたが、その中で「舌切りすずめ」の像に目がつき、母も写真を撮りました。
おじいさんがすずめたちからささげられた宝物の入ったつづらに喜んでいる様が彫られていて、これまで北見と釧路の氷まつりで氷像しか見たことがなかっただけに、雪像のダイナミックさはもう言葉にならないくらい印象深いものでした。
別のコーナーには「STV広場」があり、名前の通り札幌テレビのステージを兼ねたブースで、こちらには当時話題の「怪鳥ロック」の雪像が、オレンジの電灯に照らされて、黄金のフェニックスさながらでした。
会場を大まかに見て、露店のフランクや甘酒等を味わい、再び地下鉄に乗って、今度は東西線で終点の白石まで、そこからタクシーで北郷の伯父のところに行きました。
スポンサーサイト
  1. 2018/06/12(火) 22:07:14|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

初めてのスキー遠足

再び札幌の小学3年の3学期。

マンションの上の世帯からの漏水で他校の区域に引っ越しかねないのを泣いて抵抗した翌2月10日の金曜日、自分にとっては初めてのスキー遠足に行きました。
前日学校から帰って、せいきょうにおやつを買いに行き、ワクワクしながら心待ちにしていて、ようやく当日になりました。
3学期に入り、釧路に比して雪の多い札幌では、冬の体育の授業はスキーが中心で、グランド横に小高い山があって冬はそこを利用して滑っていました。
その授業の一環と共に授業での成果を楽しみに生かすためのスキー遠足でありました。
買ってもらったばかりのスキーとお弁当おやつを抱えて登校し、クラスごとにバスに乗って、学校を出発しました。ガイドさんが
「おはようございます」
とあいさつし、スキー遠足のバスガイドを担当する旨と自身と運転手さんの紹介をして、当時ヒット中だったピンクレディーの「UFO」をガイドさんの音頭でみんなして歌いました。
学校からスキー場へ行くのに広い道を通るために少々遠回りしたようで、学校や自宅近くや白石の伯父宅周辺とはまた違った風景が見られ、石狩町(当時)の花川辺りに出ると、雪に閉ざされた牧場とサイロが見られました。
しばらくすると跨線橋に差し掛かり、下に複線の線路とその向こうに駅のホームが見えまして、線路はすぐに小樽方面に向かう函館本線とわかりましたが、駅はすぐにはわからず、後年手稲駅とわかりました。
跨線橋から国道5号線に一旦入り、それから丁字路を曲がって山道に入りました。一面の銀世界が広がり、スキー場に近づくんだなとワクワクしてきました。
ようやくテイネオリンピアに着き、荷物を置いてスキーを着け、ストックを持ってクラス別にそれぞれの場所で滑りました。
釧路時代のスケートと違い、スキーは平たい板でストックで支えて滑るだけに安定性があり、僕も巧拙抜きで楽しめました。
雲が少なく好天の中で午前の滑りを終え、バスに戻ってみんなでお弁当やおやつを食べました。運転手さんがかけていたカーラジオがよいBGMとなって、食も弾みました。
再び外に出て滑り、担任の先生や級友たちにダメ出しされながらも、初めてスキーをした楽しさでいっぱいで、最後スキーを終えてバスに乗る前に、坂道を横になって転げ回り級友たちに止めてもらってはまた転げ回って、初めてのスキー場を存分に楽しみました。
帰路につき、僕の隣に担任のTN先生が座り、往路と逆の道を通りながら、先生がスキー初体験の僕に
「次はここをこうするといいね」
とアドバイスしてくれました。先生を挟んですぐ横に座っていたYMさんという女子が
「先生これ」
といって、当時発売中だったスティックタイプのいちご味のチョコレートを一本渡していました。
クラスの人たちと話をしながら初めてスキーを楽しんだ爽快感に浸り、ようやく学校に着いて、帰宅しました。
前夜に泣いて転校に抵抗したことも忘れてスキーが楽しかったことを母に話し、これからどれだけ楽しみがあるか計り知れない札幌での生活に一層胸を膨らませました。
  1. 2018/06/05(火) 05:20:01|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

(かこさとし先生追悼)かこさとしの絵本の思い出

西城秀樹さん、朝丘雪路さんその他有名人の訃報が相次ぎ、今年に入って誰が亡くなったのか覚え切れないくらいですが、その中でも僕たちが幼稚園保育園小学校時代に親しんできたであろう絵本シリーズでおなじみだった、かこさとし先生が先月92歳にて逝去されました。
90歳を過ぎてもなお創作活動に意欲を燃やしていたその様子は、まだその半分くらいの年の僕も尊敬の念をいだきますが、氏の絵本には幼少時から親しみ、知識欲を駆り立てられました。
作品も広く読みましたが、その中で、自身が印象に残った作品の思い出を。

「かわ」
川が山の雪解け水から渓流となり、上流・中流・下流となって最後に大海に注ぐ様が横とじの続き絵になって描かれでいますが、上流から中流にかけては沿岸に森林が、中流では田舎の学校や神社その他街の風景が、そして下流では都会の住宅地やビル街、埋め立て地の臨海工業地帯が広がって、最後は青く大きな海が広がる構成になっています。
森林が続く場面では、小型のディーゼル機関車が丸太を積んだ貨車2両を引く絵が描かれていて
「ざいもくをはこぶしんりんきどう」
のキャプションがあり、その線路が田舎の街まで続き、貯木場の引込線に丸太を積んだ貨車が止まっていた絵と共に釘付けになりました。
本作は北見の保育園にもありましたが、初めて札幌の伯父宅に行ったときに従兄の部屋にあったのを見せてもらい、先の森林軌道の運材列車見たさに、後年小学校に入ったときに買ってもらいました。

「ゆきのひ」
その名の通り、雪が降ってきたときのことを描いたもので、おそらく新潟県と思われる場所で、子供達が積雪の中スキーやスケートを楽しみ、主人公がお兄さんのオート三輪に乗ってスキー場に牛乳と玉子を届けたり、お母さんが街に買い物に出て、家族のために靴下や海産物等を買ったりしますが、それから豪雪となり、列車が不通となって、夜の暗い中蒸気機関車に押されたロータリー車で除雪作業をし、主人公もお父さんやおじいちゃんと共にスコップやシャベルを持って作業を手伝い、夜が明けてやっと線路が通じて蒸気機関車が引く列車の汽笛の音が遠くに聞こえて、主人公が自宅で家族たちと安らぐというものです。
汽車が出てくるシーンももちろんですが、オート三輪で牛乳と玉子を届けるシーン、お母さんが買い物に出た街の道路に融雪用のスプリンクラーが水を噴出していたシーン、そしてわら靴にかんじきと、特にスプリンクラーとわら靴かんじきは北海道で見ないだけに、どこがモチーフなのかと思いましたが、後年新潟県、特に長岡市辺りではないかとわかりました。
本作も先の「かわ」と共に保育園にもありましたが、汽車が出てくるのでこちらも買ってもらいました。

「とこちゃんはどこ?」
おばあちゃんに買ってもらった赤い帽子をいつもかぶっている男の子「とこちゃん」が、お母さんと買い物に行くと目を離したすきにたい焼き屋さんに行ったり、おばあちゃんとお祭りに行くと一人で勝手にお面屋さんに行ったり、お父さんと動物園に行くとまたしても一人でお猿さんのところに行ったりと、ヒヤヒヤさせるもので、最後小学校に入るための服を買いにデパートに行ったときは、どこに行ったかと思ったら、最上階の6階の食堂にいて、アイスクリームをごちそうになり、帰りは両親してとこちゃんの手を離さずに帰る、ほのぼのしたものです。
商店街やお祭りの会場、動物園そしてデパート内のシーンで大勢の客たちがひしめく中からとこちゃんを読者に探し出させる構成は、まさに世界で人気の「ウォーリーをさがせ!」そのものです。
保育園で初めて読みまして、タイトルから当時放送されていた「ケンちゃんシリーズ」のケンちゃんの妹「トコちゃん」を思い出しましたが、同じ「とこちゃん」でも本作は男の子で、「トコちゃん」以上に印象に残りました。
それから大学生になり、いろいろ傷付いたときに、「ひとまねこざる」シリーズと共に本作を久々に目にし、心がいやされました。

他にも「だるまちゃんシリーズ」「どろぼうがっこう」「へへんの十どん」「こどものカレンダー」「はははのはなし」等、保育園や小学校、図書館バスで氏の絵本に触れてきて、言葉で表し切れないくらいに楽しませてもらいました。
氏の絵本は、これからも世代を超えて多くの方たちに親しまれることでしょう。
かこ先生、どうか安らかにお眠りください。そして遠い空からいつまでも僕たちを見守ってください。合掌。
  1. 2018/06/02(土) 11:06:50|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

転校の危機

再び札幌時代の初めに。

札幌に住んで丸2ヶ月になり、授業やクラスに慣れ、このまま新琴似で暮らすものと思っていましたが、そんな78年2月の初旬、僕の住む部屋の2階から水漏れがあり、新聞紙やボロ切れを敷いて水を吸い取りました。
水漏れはその後も数回続きましたが、親が上の住人に改善を促したものの反論されるばかりでらちが開かず、引っ越すことになりました。
しかし当初は新琴似小学校の区域から他校の区域へ引っ越すかという話になり、せっかく学校に慣れたのに、引っ越すならともかくまた転校するのは嫌だと、寝るときに布団に入り泣きました。
妹がそのことを母に言い、慌てた母になだめられてどうにか収まり、父も後日
「済まない」
と謝っていました。

僕が泣いて抵抗したのが功を奏したのか、他校の区域でなく、マンションに近い、同じ大家さんが所有する、道内で60年代から主流だった、三角屋根で二世帯が住める住宅に空き部屋があったので、そっちに引っ越すことになりました。
学校も変わらず、すぐ近くで環境も大きく変わらなくて済むので、僕のみならず家族全員して安心しました。
  1. 2018/05/12(土) 04:52:17|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

(祖母追悼)祖母の一年祭⑥

一年祭を終え、思わぬサプライズで網走湖畔に泊まることになり、カニやシジミ、刺身に舌鼓を打ち、ゲームや花札に興じ、まだ歴史の浅い温泉につかった至福の夜が明けて、2月12日の振替休日の朝を迎えました。
全員して起きて、1階のレストランに行き、バイキング形式の朝食を食べました。
和洋中いろんなメニューがありましたが、僕はソーセージや炒り卵、パン、牛乳、オレンジジュース、ケーキ、杏仁豆腐、カレーライスと、好きなものを少しずつ取って、もう二度と泊まることはなかろうホテルで最後の食事を堪能しました。
そして、僕は、朝9時半の飛行機に乗るので、ホテル前のバス停を8時に出る路線バスで女満別空港に向かいました。
ホテルを出る前に伯母や従兄たちに別れを告げ、母がバス停まで見送りに来てくれました。
バス停で待っている間、すぐそばをJR石北本線が通っていて、網走発の特急「大雪」が旭川に向かって走って行きました。
ようやくバスが来て、母に送られて網走湖荘を後にし空港に向かいました。呼人駅、JRの跨線橋、39号線沿いの森林や雪に覆われた畑や牧草地の光景を目に焼き付けて、空港に着き、ホテルで買ったお土産の白い恋人やじゃがポックルを抱え、9時半の飛行機で女満別を後にしました。
窓から見える北海道の光景を焼き付けて、イヤホンで昭和の懐かしい曲や子供向けのアニメソング、童謡その他に感動しながら、正午過ぎに無事羽田に着き、京急で帰宅しました。

母と看護師の上の甥は僕より遅い午後の飛行機でそれぞれ羽田と名古屋へ、自衛隊員の下の甥は自分の車で千歳に帰りました。3日間のせわしい日程でしたが、久々の故郷・北見はもう1日か2日とどまっていたいくらいでした。
  1. 2018/04/22(日) 05:04:42|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ