trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

人生初の牛肉

初めての狸小路の翌12月18日の日曜日、今度は夕食に家族して初めて牛肉を焼いて食べました。
それまで街へ行ったときに洋食屋さんやデパートの食堂で、また北見時代に食べたボンカレー等でカレーを食べたときに牛肉を食べたことはありましたが、それ以外はジンギスカンや鉄板焼き、トンテキ、唐揚げと、豚・羊・鶏ばかりで、高い牛肉は思いもよりませんでした。
しかし、札幌に住んで、見るもの聞くものすべてが新鮮で子供ながら生意気にも目が肥えてきて、テレビか本か何かで牛肉の焼肉を見たためと思いますが
「牛肉が食べたい」
と何度か口にしまして、両親がその思いを酌んだのか、その日スーパーで焼肉用の牛肉を買ってきてくれて、夕方に玉ねぎと共に、当時流行り始めた電気式ホットプレートで焼いて食べました。
いつもなら日曜の夕食時はテレビで「笑点」等を見ながら食べるところを、珍しくテレビも付けずに牛肉と玉ねぎにみんなして夢中になりました。何せ今まで安い豚・羊・鶏の肉ばかりだったのが奮発して高い牛肉で、さすがにうまさは他の肉とは段違いで、それこそ
「今のうちに味わわないと、次はいつ食べられるかわからない」
という思いでした。
最後にわずかに残った肉と玉ねぎを取って、ホットプレートが空になったところで、父が
「終わり!」
と言って締めましたが、その表情が渋さと笑顔が混じっていて、決して楽ではない家計からいかにやり繰りして高い牛肉を買ったかが肌で感じられました。

狸小路での食事に続き人生初めての牛焼肉と、この後札幌でどれだけ目が肥えて心がぜいたくになってゆくか、知れたものではありませんでした。
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  1. 2017/04/20(木) 20:21:08|
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初めての狸小路

札幌に移り、近くの親類たちと再会し、学校にも慣れてきた12月17日の土曜日、家族して初めて札幌の有名な商店街・狸小路に行きました。
土曜日なので僕も妹も午前で授業が終わって帰宅し、父も半ドンで昼過ぎに帰宅して、支度して新琴似小学校前のバス停からバスで北24条駅まで行き、地下鉄南北線ですすきので降りて、度々テレビで見たすすきのの繁華街のネオン輝く交差点を渡り、テレビのお買い物案内で何度も耳にしていた狸小路商店街のアーケードをくぐりました。
通りの両側に昔ながらの食料品店・薬局・和菓子屋・刃物店・飲み屋・食堂がずらりと建ち並び
「さすが北の都!」
と感嘆するばかりでした。
アーケード下をひたすら歩き、ちょうど夕方5時ごろで夕食時でどこか食べるところはと探すと、古い木造2階建てで軒上に狸の絵の看板が大きく掛かっていた
「ぽんぽこ」
という料理店に入りました。
天ぷらやカニ、鍋物が中心の郷土料理店でしたが、メニューを見るととんかつもあり、両親と妹が天ぷら定食を頼む中で僕はとんかつ定食を頼みました。
料理が来るまで家族して学校のことや会社のこと、ご近所さんのことその他もろもろでおしゃべりにふけると、僕の注文したとんかつ定食が先に来て、待ちかねたようにむしゃぶりつきました。追って残りの天ぷら定食も来て、家族全員で食事にありつきました。
とんかつだけにキャベツの千切りも付いていましたが、以前は給食のキャベツを残していたくらいだったのがとんかつと共にすっかり平らげ、父に
「キャベツも食べるようになってえらいな」
と褒められました。
全員して食事が済み、店そして商店街のアーケードを抜けてタクシーで帰宅すると夜7時を回り、NHKニュース→ジャッカー電撃隊→8時だヨ!全員集合を見て眠りに就きましたが、初めての狸小路はアーケード下を歩くだけでもワクワクしたのに、夕方なのもあって料理店で食事もしたので、これから札幌で次から次へと楽しいことがありそうな予感を強く覚えました。
  1. 2017/04/15(土) 22:46:33|
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札幌の暮らしに慣れてきましたが…

その慣れが元か、級友に対して反抗や口答えを知らずにするようになり、
「転校生のくせに生意気だ」
の悪評が立ってしまいました。いけないと思い引っ込めてもしばらくするとまたその生意気さが出ていがみ合いになり、今思えば甘えていたと恥ずかしいばかりですが、それでも何となく僕を受け入れてくれる懐深いムードがあり、これまでにない学校での安心感を十分に覚えました。

そんな中、学校から帰って吹雪の中、明るいうちに一人で外に出て、今のようにマンションが立ち並ぶことなど考えられなかった新琴似駅裏の空地を、札沼線の列車を見ながらただ歩き回っていました。
すると、空地の向こうから僕の名前を呼んで誰かが向かって来たので、振り向いて誰だろうと思ったら
「俺だよ」
と、同級生のSB君が毛糸の帽子を脱いで顔を見せました。何をしているのか聞いたので、列車を見ながら空地を歩き回っていることを話し、しばらく吹雪の中で話しました。後にSB君も僕と同じ条丁目に住んでいるのを知りましたが、生意気と言われいがみ合う中でのクラスの懐の深さが表れていて、ますます安心感と喜びを覚えました。
  1. 2017/03/30(木) 00:05:16|
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岩見沢の伯母宅へ①

札幌での本格的な学校生活が始まって1週間になる12月10日の土曜日、家族4人して岩見沢の父方の伯母夫婦のところに行きました。北見時代の2歳のときに父と一緒に本別時代の伯母宅に行きましたが、その年岩見沢に移り、僕たちも札幌に移って互いに近くなったので、お邪魔することにしました。
数日前に音楽のペーパー試験があって土曜日にその答案が返って来て恥ずかしい点数で、父に注意されましたが、その後そんな苦いことも互いに忘れて、札幌駅に向かい、14時半くらい発の岩見沢行きディーゼルカーに乗りました。
土曜日ということもあってか、車内は満員で立ち客が大勢いました。母がキオスクで当時発売され始めて人気だったアメリカ発の棒付き球状キャンディ「チュッパチャプス」を買ってくれて、妹と車内で食べました。その棒が管状になっていて、それをストローにして同じくキオスクで買ってくれたヤクルトを飲むと、母と妹が
「頭いい!」
と驚きました。ちょうど野幌か幌向辺りで上りの普通電車とすれ違いましたが、北海道で唯一の一般型電車で、帰りはその電車で帰れたらと思いました。
岩見沢駅に着き、路線バスでようやく伯母宅に着きました。伯母宅は国道12号線沿いの電電公社の官舎で、木造モルタル平屋建てでした。
伯母夫婦は本別の後、名寄に移り、それから岩見沢に移りましたが、本別時代に息子さん(従兄)2人が北見工業高校に入り北見の祖父母のところに下宿して通学し、その間に伯母夫婦が名寄に転勤、その後従兄が高校卒業して共に電電公社に入り、兄弟して名寄勤務になって再び家族して暮らし、今度は伯父の岩見沢転勤で再び従兄たちと離れました。
名寄時代の伯母のところには僕も妹も両親も一度も行きませんでしたが、僕の北見時代に従兄たちの様子見を兼ねて祖父母宅に時々夫婦して来ていましたし、前年の一番下の叔母の結婚式のときにも再会しました。
本別以来7年振りに伯母宅にお邪魔すると、両親たちと北見時代の話で盛り上がり、ビールが入って盛り上がりに拍車がかかりました。伯父とは本別にお邪魔した話でも盛り上がり、その本別時代に従兄のために買った童話の本の中から「ピノキオ」をいただき、ずっと読んできたことを話すと、伯父が「ピノキオ」の、本に書いてないことまで詳しく話してくれました。北見や本別の話で盛り上がり、その楽しさを胸に、床に就きました。
  1. 2017/03/10(金) 21:13:33|
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本格的な札幌での学校生活の始まり

祖母が北見に帰り、引越しも落ち着いた12月5日の月曜日、本格的に札幌での学校生活が始まりました。
算数が2学期は「重さ」で終わりで、釧路での2学期の算数が「重さ」で始まっていて、同じ単元をダブって習ったのが意外でしたが、国語でも転校前に習い終えた「おいしいパンはいつできる」という物語を習っていて、前に習い終えただけに内容がすぐわかりました。
おじさんがおおかみに小麦の種まきから収穫・製粉・パン生地こね・発酵そして焼き上がりまでのプロセスを説明するもので、特に小麦の生育期に冬に枯れないように、わざと足で踏んで小麦を強くする「麦踏み」のところでおおかみが
「パンを足で踏むの?」
とおじさんに聞いた場面は、「言われてみれば」と思いクスリとなりました。
まだ種まきや生育、収穫の段階で、食いしん坊らしくおおかみが
「それでパンが食べられるの?」
と聞く度におじさんに
「まだ早い」
と制されていて、早くパンが食べたそうな表情になり、ようやく製粉から生地を作って発酵した段階で
「いよいよ焼き上げに入る」
と説明しておおかみを徐々に安心させ、パンが完成しておおかみもやっと食べられる次元に来てさぞ満足かと思いきや、おおかみが
「そんな苦労して作るパンなど食べたくないや」
と文句を言い、おじさんに
「食べ物が口に入るまでには、いろんな人たちの汗がこもっているんだ」
と優しく諭される内容で、釧路でパン工場を見学した程度の僕もパン作りの過程が詳しくわかり、認識を新たにしました。思えば自宅でも母が小麦粉とベーキングパウダーと卵で生地をこねてパンやマドレーヌを作っていましたが、原料の小麦の栽培までわかり、まさに今はやりの「食育」でした。

理科の時間には、教室で硼酸をビーカーの水に溶かしてあまり溶けず、アルコールランプでビーカーを熱するとよりたくさんの硼酸が溶け、火を止めて溶液が冷めるに連れて硼酸の結晶が現れる実験をしまして、釧路では一度も火を使う実験をしなかっただけに
「うるさい」
と注意されたくらいに興奮しましたが、水に溶けなかった物質が湯に溶け、その湯が冷めて物質が結晶となって水中に現れたのには目を見張りました。これまでの理科の実習は、植物の種を割って中を見たり、花や温度の観察や磁石、水を掛けて水車を回すといった、それほど危険を伴わないものだっただけに、火や薬品を使う実験がこれから増えると思うと、ワクワクしてきました。

算数同様釧路とは教科書が違う札幌で初めての図工の時間に、空き箱等身近なものを使って何かを作ることをしました。材料を忘れて仕方なく画用紙をもらって作った人もいましたが、僕は前日に言われた通りに自宅からチーズやバターの空き箱・ヨーグルトのカップ・割り箸・輪ゴム・糸巻きを持って来て、空き箱で車を、カップで車に引かせるトレーラーを作り、糸巻きを車輪にし、糸巻きの穴に輪ゴムを通して糸巻きを回して輪ゴムをよじり、離すと輪ゴムが元に戻る力で糸巻きの車輪が回って車が走るようにしました。
図工は得意ではないながらも、何か動く小さな乗り物が作りたくなり、汽車ポッポを彷彿させる、車に小さな荷車を引かせるものを想像して作りました。
出来上がったみんなの作品を教室後方の棚に並べ、うまく走らなかったものの先生が僕の作品を
「まあまあだな」
と評してくれて、後ろの席のKB君に
「良かったね」
と言われ、うれしくなりました。
  1. 2017/03/06(月) 20:09:24|
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