trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

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意外なところで…

改めまして、このブログも3年前の1月11日に開始以来丸3年が過ぎました。今後とも御指導ごべんたつをよろしくお願いいたします。

前年12月に転校して以来の札幌での授業ですが、算数と図工以外は釧路時代と教科書が同じだっただけに、しばらくは釧路時代の延長という具合で、進度やらその他何ら支障はありませんでした。
体育の授業でフォークダンスをし、その曲が何と前年の釧路時代の運動会で演じた北欧風の曲で、そのとき演じていただけにスッとなじめ、釧路時代で初めて楽しめた前年の運動会を思い出して、いつもならさほど楽しめない体育の時間がこのときは楽しめました。

そして、通学や買い物その他で新琴似の街並みを見ているうちに、前年の釧路時代の夏休みに札幌に行ったとき、当時の石狩町に住んでいた叔母のところにお邪魔した帰りに通った札沼線の踏切の通りが「四番通」といって、自分が住んでいる最寄りの通りで、通った踏切の左手に見えた駅が国鉄(現JR)新琴似駅とわかり、前年に石狩町からの帰りに札沼線の踏切を通ったときにビビッと来るものを感じたので、よほど新琴似の地にご縁があったのかと思いました。後に一層ご縁があったのかと感じさせる物事を見ることになります。
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  1. 2018/01/19(金) 12:22:50|
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札幌初の年末年始もろもろ

当時のメインの思い出が鮮烈に浮かんで書き急いだ余りに、見落とした札幌初の年末年始の思い出があったので、ここにまとめて。

札幌初の大晦日の77年12月31日、お邪魔した北郷の伯父宅でお節やおそばをみんなで食べ、レコード大賞を経て紅白歌合戦を見たとき、対戦の合間のお約束の余興で、その年のクリスマスに亡くなった喜劇王・チャールズ・チャップリンを悼んで、当時「お笑いオンステージ」のメインキャストだった三波伸介さんが、チャップリンに扮して顔を白く塗り、ちょびヒゲを付け、トレードマークの黒い帽子に黒い背広とズボン姿で杖をついて登場し、番組で共演していた中村メイコさんがチャップリンの生涯をナレーションするのに合わせて三波さんがご本人さながらにひょこひょこ歩いて笑いを誘っていました。
最後に中村さんが
「チャップリンは88歳で亡くなりましたが、そのときの体重は88kgでした」
と、チャップリンの享年と三波さんの体重の数字とを見事に掛け合わせたオチには、会場のみならずテレビの前の僕たちも大爆笑しました。

チャップリンは前年の釧路時代の小学2年のとき、一人で留守番をしていたときに何の気なしに付けたテレビで「モダンタイムス」を放送していて、工場のベルトコンベアの作業員だったチャップリンが、隣の大男の作業員とじゃれ合ったり、工場をその都度その都度出入りする際にいちいちタイムカードを押したり、高速で流れるコンベアに乗ってしまい機械内の歯車のすき間をぐるぐる回り、機械を逆回転させてチャップリンを機械から出して救うシーンに、ストーリーがわからないながらもくぎ付けになりました。
後年百科事典を見て、チャップリンが当時自動車産業等で盛んに採用されていたベルトコンベアによって人間までが心を失って機械のように行動してしまう様を風刺して製作した作品と知りました。
また、当時の同級生で、虫好きな一方で教室で奇声を上げたり何なりで担任から目を付けられていたMD君が、ノートにチャップリンの似顔絵を書いて担任からあきれられていたのを見て、チャップリンって誰かと思いましたが、先の映画でわかりました。
そのチャップリンが亡くなり、墓地から遺体が盗まれたのをNHKニュースで知ったときは驚くと同時に遺体を盗んで何になるのかと首をかしげましたが、無事戻ったようで安心しました。

明けて78年の、冬休み明けの始業式の日の1月19日木曜日、当時の人たちなら大方見ていたであろう歌番組がスタートしました。
その名は「ザ・ベストテン」。
日テレ系の「紅白歌のベストテン」やフジ系の「夜のヒットスタジオ」、テレ朝系の「ベスト30歌謡曲」に対抗して、往年の同局系「歌のグランプリ」のコンセプトを継いだであろう歌番組で、当時同局系のクイズ番組「ぴったしカンカン」の名司会だった久米宏さんと同局の他の歌番組その他の司会でおなじみだった黒柳徹子さんの、大人気司会者コンビで、毎週毎週全国の系列民放に寄せられたリクエストやレコード売り上げ、オリコンランキングや有線放送での順位を元にベストテン曲を発表して、ゲストにスタジオで歌ってもらうほか、地方へ公演に行っていたゲストには現地の系列局のアナウンサーの紹介で歌ってもらうもので、他の歌番組同様、瞬く間に高視聴率を挙げ、人気番組の一つとなりました。
記念すべき第1回の1位は当時これも大人気のピンクレディーの「UFO」で、2位は解散を間近にしたキャンディーズの「わな」と、男女共に人気のあった歌手が毎週上位を争っていて、僕も妹や母と一緒になって見て、翌金曜日はクラスで大体「ベストテン」の話で持ち切りでした。

  1. 2018/01/08(月) 19:24:00|
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札幌で初めての映画

初めに、新年明けましておめでとうございます。
厳密には今月11日ですが、このブログも開始から3年を迎えました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

もしかすると1月15日だったかも知れませんが、どうもこの日がしっくり来るので、この日にしておきます。
札幌初の冬休みが明けて最初の日曜日の1月22日、父に連れられて家族全員して大通駅近くまで映画を見に行きました。
タイトルは「オルカ」。
父が新聞か何かで広告を見付けて見たかったようでしたが、当時の僕には全く興味がわかず内容もわからずで退屈でした。
しかし、後年知ったことには、漁師が雄のオルカ(シャチ)を仕留めようとしたら、間違えて雌を仕留め、しかもその雌が身重で子供まで死なせてしまい、雄がそれを恨んで漁港沿いの家や石油タンクまで壊してその漁師が漁民たちにまで恨まれ、責任を取るために沖合まで漁船に乗って雄のオルカに立ち向かい、死闘の末にオルカの恨みを受けて海中に消えてゆくという悲しい内容でした。
前年に見た「カサンドラ・クロス」が著しく印象的だった上に、その夜、寝てるときに妹が本作を思い出して泣いて家中びっくりしたので、二度とその映画は見たくないと思いました。

その映画館で「オルカ」の直後に「カプリコン・1(ワン)」という作品も上映されていて、こちらも退屈で内容など知る由もありませんでしたが、後年知ったことには、「カプリコン・1」という宇宙船が本当なら月に着陸するはずが、実際には打ち上げに失敗し、テレビでは宇宙船から飛行士たちが月に降り立つように見せ掛けた偽装映像が流され、墜落した宇宙船から脱出した3人の飛行士たちは、砂漠上で寝ているときにサソリが顔の上をはい、危うく刺されそうになったところで目が覚めてサソリを払ったり、洞窟で毒ヘビに襲われ、靴でそのヘビを叩き殺し、ナイフでヘビを切って食べたり、ヘリコプターの賊に襲われたがそのヘリコプターが崖にぶつかって炎上したりと、それぞれに逃げ延びました。
打ち上げ失敗を隠すために、当局が月面着陸に加えて、飛行士たちが行方不明の末に事故死したと偽装して葬儀を執行していたところ、その死んだはずの飛行士たちが砂ぼこりにまみれた宇宙服姿で走って式場に現れるという内容でした。
こちらの方はまだ目を見張りまして、サソリが飛行士の顔をはうシーンと飛行士が毒ヘビを殺して食べるシーンがいまだ印象的な上、賊のヘリコプターが崖にぶつかって炎上したシーンは、隣に座っていた親子と一緒に手を叩いたほどでした。

退屈極まりなかった札幌初の映画でしたが、それから長い月日がたち、内容もさることながら、「オルカ」の方は主演の漁師が前年の「カサンドラ・クロス」に出ていたリチャード・ハリスで、プロデューサーだったディノ・デ・ラウレンティスが「カサンドラ~」のプロデューサーだったカルロ・ポンティと盟友でかつて共同で映画を製作していたこと、「カプリコン・1」も飛行士の一人が「カサンドラ~」に出ていた黒人俳優のO・J・シンプソンで音楽担当が「カサンドラ~」も担当していたジェリー・ゴールドスミスと、余りにも「カサンドラ~」つながりで驚き、両作品共ビデオで見たほどでした。
もっとも、母はリチャード・ハリスが「オルカ」に出たのを見て
「『カサンドラ~』に出ていた人だ」
と気付いていました。

その両作品をビデオで見たころに、「オルカ」というのは学名で、英名で「グランパス」、和名が「シャチ」で、鴨川シーワールドでの曲芸やサッカーチームのシンボルで有名な上、「シャチ」の名前が名古屋城の「金のしゃちほこ」にもなっている伝説上の動物「シャチ」(鯱、体が魚で頭は虎)が由来のほか、実物もカナダや南米ほか日本でも知床沖で見られると知り、怖いイメージのシャチに今では親近感がわきます。
  1. 2018/01/02(火) 13:48:23|
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ようやく3学期に

北郷の伯父宅で年を越し、岩見沢の伯母宅で親戚たちして集まり、初めて親の同伴なしで自分と従兄だけで北見まで往復する「冒険」をした札幌初の冬休みが終わって、1月19日の木曜日、3学期の始業式を迎えました。
みんなの顔を見るのが楽しみで登校すると、持って行った工作の二階建ての家にみんな驚きましたが、そういう中で後ろの席にいた野球好きのOB君が、白い布切れで作ったカーテンを見て
「それお前のパンツで作ったろ」
と言ったので、クラス中で大笑いしました。
体育館での全校での朝礼で校長先生その他先生方のお話を終えて教室に戻り、一人一人冬休み中の出来事を話したり、工作や図画、正月らしく習字を持ち寄って教室の後ろに掲示しました。
冬休み中の出来事で、僕はもちろん北郷や岩見沢や北見に行ったことを話しましたが、真後ろのKB君は伯父さんがバスにひかれて亡くなりとても悲しかったことを話していて、何とも心が締め付けられました。
図画工作や習字もバリエーション豊かに集まり、僕の真ん前の席のTG君が学研の「学習」か「科学」の付録のものと思われる接眼レンズと方眼紙、豆電球で顕微鏡を作ってきたのに驚きました。方眼紙で顕微鏡本体、豆電球で照射装置を作っていました。
始業式が終わり午前中で帰宅し、釧路よりも雪が多い冬の札幌の学校生活がどんなものかとワクワクしてきました。
  1. 2017/12/24(日) 20:52:58|
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冬休みの工作

行きは岩見沢から名寄の従兄の車で、帰りは白石区の従兄と二人だけで超満員の急行列車で立ちっ放しと、往復共に親の同伴が初めてなしの北見への「冒険」旅行は、前年9月に母の実家の改築祝いで北見に行ったことと併せて、釧路の小学校2年の夏休みに札幌を断念して北見に行ったことと、3年の夏休みに札幌に行った帰りに寄った北見で嫌なことが続いたために自分の心に巣食ってしまった北見への嫌悪感をいつの間にか消し去ってくれました。

その感動もまだ冷めやらぬ正月七日間明け、気持ちを切り替えて学校から渡された必修の冬休みのドリルを片付け、こちらは特に言われることなく自由でしたが、工作をしました。
お菓子か何かが入っていた手提げ付きの箱を切って画用紙で三角屋根を付け、二階建てにしようと箱の中に画用紙で仕切りを付けました。更に画用紙で二階にベッドと机を、一階に椅子とテーブルとテレビを設けました。
そして両階に豆電球で室内灯を設け、電池で点灯するようにしましたが、その際に室内灯のカバーに半透明の卵のパックを卵一個分ずつ切って電球にかぶせ、両親、特に父が
「おお、すごいじゃないか!」
と驚きました。
最後に白い布切れでカーテンをかけ、両側に開け閉めできるようにしました。
前年の釧路時代の冬休みにも工作で画用紙とかまぼこの板で救命ボート付きの救助艇を作りましたが、札幌初の冬休みの工作は、それよりも更に大きく手の込んだ、家具と室内灯付きの二階建ての家でした。室内灯に電池で点灯する豆電球を使ったのは、当時の理科の授業で乾電池と豆電球を習っていたまさに応用でした。

ドリルも工作も終え、後はテレビを見たり外で雪で遊んだりして、札幌初の冬休みもたけなわとなりました。
  1. 2017/12/14(木) 10:44:30|
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