trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

釧路での鉄道の思い出⑩

再び釧路時代で、小学校2年の夏休みが明けて休み中の思い出を作文に書いたところで9月に入り、4月に既に開店していた長崎屋釧路店に、日曜に母と妹と行きました。
金市舘や丸三鶴屋、オリエンタルデパート、くしろデパート等の釧路資本や道内資本の百貨店だけがひしめく中に初めて進出した本州資本の百貨店だけに、新しいもの見たさでワクワクしましたが、汽車のおもちゃ見たさでおもちゃ売り場に入ると、模型コーナーがあり、そこに何と日本型のNゲージの鉄道模型が売られていました。それまで鉄道模型といえば北見の老舗模型店で見たアメリカ型のしか知らなかっただけに、日本型のは衝撃的でした。
現在の「トミックス」の前身の「トミーナインスケール」ブランドで、当初はそのコーナーではDD13型ディーゼル機関車の7両編成の貨物列車セットと、ED75型電気機関車の7両編成の貨物列車セットの2種類が売られていました。
このうちDD13の方には、見慣れない貨車が入っていまして、よく見ると、砂利や石炭等を積む無蓋車の真ん中に車掌室が付いた「無蓋緩急車」なる貨車でした。
後年買ったカタログでその貨車は戦前は国鉄で見られたが戦後全廃されて小田急や東武等の私鉄に払い下げられて現役なのを知りました(事実、後年首都圏に足を踏み入れた際、とある大手私鉄でその無蓋緩急車を見ました)。
日本型の鉄道模型、欲しいと思いつつも以前に反対されただけに欲しいと言い出せず、長崎屋に行く度その模型コーナーで見るだけにとどまりましたが、見るだけでも楽しく、コーナーには後に工場等の専用線のけん引機を模した小型ディーゼル機関車けん引の4両編成の貨物列車セットも並びました。実物はついに見なかったものの、先のカタログによれば、ED75けん引の4両編成の客車列車セットもありました。

ナインスケールの日本型車両の登場で日本の鉄道模型は日本型Nゲージ車両が爆発的な人気となりますが、そちらに憧れつつも僕はアメリカ型HOゲージへの興味が勝り、親の反対ゆえ長い年月を経て意外なときに意外な場所で入手することになりました。
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  1. 2015/06/16(火) 22:22:32|
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再び、北見時代の落ち穂拾い

保育園に入り物心付く以前の70年の2歳のころ、当時の池北線で父と本別の伯母のところに行ったことに加えて、当時の国鉄の企画で「ディスカバー・ジャパン」のキャッチフレーズで、日立のカラーテレビ「ポンパ」の宣伝も兼ねた全国一周のPR専用列車「ポンパ」号が東京駅を皮切りに全国の主要都市を回りました。
その「ポンパ」号が北見にも来ることになり、事前に新聞で知ったか元国鉄マンの祖父から聞いたか何かで、母が親戚たちと一緒に僕を北見駅に連れて行って、「ポンパ」号を見せてくれました。
改札を出る前に当時の「ポンパ」のキャラクターだった、オウムを模した鳥の着ぐるみの「ポンパくん」が僕の前に来て、握手をしてくれました。余りの可愛さが印象に残りましたが、その後北見の日立の家電店に「ポンパくん」の人形が飾られるようになりました。
改札を抜けてホームに止まっていた「ポンパ」号の車内に入ると、「ポンパ」号の鉄道模型が円形の線路の上をぐるぐると走っていたり、壁の上方にずらりと並べられたテレビには、「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンにふさわしく、日本全国の美しい風景写真がスライド形式で一枚一枚映っていました。
「ポンパ」号は蒸気機関車(後年になってC12と知りました)けん引で、けん引される客車は5両程で、客車は1両ごとに色が赤、黄色、緑等と違えてあり、車内は当列車用に座席を撤去してテーブルとテレビが設置され、先のようにテレビにはスライド形式で全国の風景写真が映り、テーブル上には当列車の模型が走っていたほか、壁には全国の風景ポスターや説明資料等がはられていました。
車内を見終えて再度改札外に出ると、まだまだ車内にとどまりたい、「ポンパくん」とまた握手したいという思いが込み上がってきました。

一方、保育園時代最後の74年4月に、日本テレビ系列の札幌テレビで朝7時から放送されていた「おはよう!こどもショー」の後に7時45分からの15分番組「カリキュラマシーン」という子供向け番組がスタートしました。
往年のコメディー番組「ゲバゲバ90分!」に何本も詰め込まれたコントを子供向けにして、そのコントで「あいうえお」の平仮名や数字や足し算引き算を勉強する、子供番組としては従来の「ピンポンパン」等とは一線を画すものでしたが、その中で平仮名の「れ」を扱った回で、他の「れ」で始まるものをコントで紹介した後、荘厳で勇ましいクラシック音楽をバックに国鉄の操車場で貨車の入れ換えシーンが流れました。
突放された貨車が停車中の貨物列車に
「ガチャーン」「ガチャーン」
と連結される場面が続き、最後に連結器同士が連結される場面が真上から映し出されて
「ガチャーン!」
と大きく音を立てたところで、当時のメインパーソナリティーのナレーションで
「れんけつき、れ・ん・け・つ・き」
と読まれたシーンは実に圧巻で、僕の心をわしづかみにしました。


  1. 2015/06/15(月) 22:48:45|
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釧路での鉄道の思い出⑨

夏休みに入る前の6月に小学校で「全校遊び」なる行事があり、児童全員で列になって「ジェンカ」を踊りましたが、周囲の動きを見たもののどうもなじめず、翌月7月24日の終業式後に釧路川沿いの河畔公園で親子参加のクラスの「おたのしみ会」の最後でも「ジェンカ」を踊ったものの楽しめなくて内心いらいらしました。

札幌に連れて行ってもらえると勝手に期待を膨らませて、夏休みに入りましたが、母から
「札幌は暑いし、汽車も混む」
と言われて泣く泣く断念せざるを得ず、8月に入り故郷の北見に行きました。札幌への期待を膨らませた一方で「ジェンカ」のときに激しくいらいらしたので、何か嫌な予感がしましたが、まさにその札幌行きの断念を感じていたようでした。
釧路発12時30分の網走行き急行「しれとこ2号」に乗り、終点の網走で北見行き普通列車に乗り換えるという、これまで釧路から乗り換え無しの直通で行くのとは違うパターンでした。釧路の次の東釧路駅ですれ違いのための停車をしたとき、向かいのホームにDE10の引く貨物列車が止まっていて、機関車に続いて車掌車、無蓋車、白い冷蔵車そして一般の有蓋車もろもろが連なっていました。重連でなく単機だったので、おそらく根室からの列車だったでしょう。
北見では母の実家と父の実家に交互に泊まり、父の実家では、一番下の叔母の、当時4歳の息子さんが当時の北見パークランドという遊園地近くの保育園に通っていて、祖母と一緒に送り迎えをしました。
母の実家ではいつも通りにテレビを見たり何なりして過ごしましたが、表立って顔や口に出さなかったものの、わがままを承知で札幌を断念せざるを得なかった悔しさは消せず、夏休みが明けて2学期が始まったばかりの国語の時間に夏休みのことを全員で作文に書いたときは、先の悔しさで文章が支離滅裂になり
「もっと文を書く稽古をしましょう」
と先生に書かれたほどでした。2学期になってすぐに、作文を書くのが毎日の宿題になり、作文が苦手な僕は苦痛でした。
一方、クラスの女子で札幌に行った子がいて、毎夏恒例の子ども博に行ったことを実に楽しく書いて学級通信に作文が載せられたのを見て、うらやましさが一層募りました。

札幌への思いが強かっただけに、今回の北見行きは東釧路駅で貨物列車が見られたのと網走駅で乗り換えたほかはどういう列車が見られたとかいう記憶がなく、母の実家で従兄たちと近くに遊びに行ったことさえ記憶にはあっても楽しいと思えませんでした。
それでも図書館バスで今や大人気となるとは思わなかった「きかんしゃトーマス」の絵本やかこさとし先生作の「だるまちゃんとかみなりちゃん」を借りて読んだり、学校の夏のプール学習でしか行ったことがなかった鳥取神社隣のマンモスプールに連れて行ってもらい、それまでできなかった水潜りが自然にできて、母も先生もびっくりましたが、僕自身も驚くと共に自信になり、2年の夏休みの思わぬ「収穫」でした。
  1. 2015/06/07(日) 22:45:40|
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釧路での鉄道の思い出⑧

冬休みが明けて3学期が始まり、北見時代にしたことなかったスケートが体育の授業で始まり、運動音痴の僕はうまく滑ることができませんでしたが、それ以外の授業は別に問題なく、その年が開校5周年で2月に記念式典があって紅白のおまんじゅうをいただいたり、卒業式が3年生以上の出席で1・2年生は休みでその日は自宅でテレビを見たり、一方で水疱瘡が流行って僕もしっかりかかり、最寄りの皮膚科に通院したりと、せわしかった記憶があります。
そしてようやく1年が終わって春休みに入り、どの列車で往復したかは覚えていませんが、母と妹とで北見に行きました。先に父の実家に行き、それから母の実家に行きました。3月28日が祖母の誕生日でお祝いにエビフライを作り、みんなで食べて祝いました。

4月になり、2年生に進級、担任もそのまま持ち上がりで安心しました。
5月の恒例の新くしろ川沿いの河畔公園への徒歩遠足は、なじめなかった前年とは打って変わってはしゃぎ回り、先生から
「あいつ狂った~(笑)」
と言われたほどでした。
その目立ち振りを買われたのか、最後に相撲をしたときに行司を任され、実に気分は上々でした。

その後、6月の運動会やら何やらを経て、夏休みが近付き、前年は全く思いもしませんでしたが、北見時代に行ったのを思い出して、札幌に連れて行ってと母にせがみました。札幌に行けば、電車や電気機関車が見られるだけに、結局どうなるかも知らず、勝手に期待を膨らませるばかりでした。
  1. 2015/06/03(水) 21:50:46|
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