trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

ワクワクした3年生のスタート①

これまでに書き逃したことがまだまだあって落ち穂拾いを続けたいところですが、キリがないので本題に。

始業式にクラス替えをして3年4組になり、新しい教室に入ってその面々を見ると、1・2年で一緒だった人、前は他のクラスでもかねがね顔を見ていた人、そして全く面識がなく初めて顔を合わせる人と様々で、何があるかますます楽しみになってきました。
教科書と学校通信、学年通信そして学級通信を受け取り、学級通信に数日後に皆で自己紹介をする旨が書かれていました。学年通信のタイトルが「和」となっていましたが、ただ「和」の字が書かれているのでなく、「和」の字を図案化して円形にして、黒い線に白抜きで書かれていたのに度肝を抜きました。
教科書をパラパラめくって内容を確かめたところ、国語の教科書に興味深い物語があって、山中の小さな駅での駅員数名のやり取りだったので、いつこの章をやるのか待ち遠しくなりました。社会の教科書は鎌倉駅と駅前に止まっているバスの写真が表紙でしたが、後年その鎌倉に思わぬご縁があることなど知る由ありませんでした。
帰宅して母に国語の教科書に山中の駅の駅員の物語が載っていたのを話すと
「兄ちゃん汽車好きだから楽しみじゃない」
と言われ、ますますその物語をいつ授業でやるのか待ち遠しくなりました。

更に、社会では本来の教科書に加えて、副教材として釧路市内や釧路管内の歴史と地理、産業のことを書いた「くしろ」という教科書を使うことになりました。市内の小学校で3年から使っていて、表紙が青地に「くしろ」の黒文字と釧路の酪農や漁港や工場の絵が描かれたその本に、鉄道好きから始まった僕の好奇心がどれだけ刺激されることか、全く知る由もありませんでした。
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  1. 2015/10/17(土) 12:42:16|
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3年の生活の前に…

2年の落ち穂拾いで、2年が始まって春の遠足を終えた5月の23日の日曜日、父の会社の花見で、北海道の桜の名所の一つの、釧路から更に東に位置する厚岸町に行きました。
当日朝、愛国小学校に近い中園町の会社に集合し、父を始め社員全員とその家族全員でマイクロバスを借りて厚岸に向かいました。前年10月に同じ国道44号線を走って根室に行きましたが、今回はその釧路と根室のほぼ中央にあたる厚岸でした。
列車は見なかったけど、厚岸駅までは根室本線に並行して走り、厚岸駅を過ぎて本線と別れました。もっとも当時は厚岸駅から更に線路が分かれ、厚岸の漁港近くの浜厚岸という貨物駅まで線路が延びていて、その引き込み線と浜厚岸駅、そして駅に止まっている貨車が見られ、うれしくなりました。
その浜厚岸駅を過ぎると、厚岸大橋という長い橋を渡って対岸に渡り、ようやく桜の名所の公園に着きました。
みんなでビニールシートを敷き、かまどを作ってジンギスカン鍋を置き、その上でジンギスカンを焼いてみんなでつつきました。更に大人陣はビールを、僕たち子供陣はジュースを飲みました。
ジンギスカンが一段落するとくじ引きで、それぞれお菓子や小さなおもちゃの入った袋をいただき、みんなで写真を撮ったりしました。社員の子供たちは僕と同じ愛国小学校の子が多かったけど、光陽小学校の子もいました。
帰りになり、上司のおじさんがビールを飲みすぎたようで立てず、母や他の家族のお母さんたちでその上司を抱えてバスに乗せ、ようやく厚岸を出て、行きの道を逆に走り、夕方5時ごろに会社に戻り解散しました。

12月25日の2学期の終業式の後、学校近くの愛国会館でクラスの「お楽しみ会」があり、初めに臼と杵で餅をつき、その餅をお母さんたちが粉を付けてただ丸めたのとあんを包んだのとに分け、ただ丸めたのはお雑煮に入れました。
お母さんたちがあんもちやお雑煮を作る横で僕たちは、かねてからクラスのお母さんたちに学級新聞で通達して作ってもらった、絵札の大きいカルタ取り大会をしました。
なかなか札を取れずやきもきしましたが、ようやく一枚取れて大得意でした。くしくもその札は母が「サザエさん」の本を見て描いたもので、登場人物が電柱に立ち小便をしていてそれをお巡りさんが横でにらんでいたものでした。絵札は他に、当時夕方に再放送していた「ど根性ガエル」のキャラクターの一人の寿司職人の「梅さん」が描かれたのもあり、その梅さんがしていた前掛けには「二年五組」と書かれていてクラスで大ウケしました。
カルタの後はお雑煮やあんもちを食べながらくじ引き大会をし、僕は鉛筆が当たりました。
鉛筆のダジャレで「えんぺつが当たったよ」とお母さんたちに言うと、先生が
「えんぺつで勉強しろよ」
と笑っていました。ほかに僕が自宅から持ってきた、会社の製品の景品のゲームをしたり、当時トミーから発売された、水を入れて楽しむ「ウォーターゲーム」をみんなで楽しみました。

年が明けて3学期、暦の上では春ながら吹雪が厳しかった3月初めの8日、風邪が流行ってクラスで何と16人が欠席し、僕のクラスだけが学級閉鎖で翌日から2日間休みになりました。給食はすごく余り、各自の分を食べた後、余ったパンと牛乳をもらって帰宅しました。
閉鎖が始まった翌水曜の夜、いつもは父にチャンネルを取られてそうそう見れなかった、当時NHKで水曜夜8時台に放送されていた、芸能人家族が4チームで対抗する音楽クイズ番組「ゲームプレイミュージック」を、最初から最後まで見ました。作曲家の神津善行さんが司会で、審査員に船村徹始め大御所音楽人たちが連なるこのクイズ番組は、チーム対抗の歌合戦やイントロクイズ、音楽の歴史や記号等の専門クイズで構成されていて、ちょうど「クイズドレミファドン!」と「オールスター家族対抗歌合戦」をまさに合わせたような内容でした。
それだけなら普通のクイズ番組や歌合戦番組と一緒なところが、ユニークだったのは得点が電光掲示板でなく白いボールで計算されていて、チーム別の透明なアクリルケースに入れられ、最後にそのボールをチーム別のボードに並べて長さを競い、数の多いチームが優勝という、ちょうど学校の運動会の玉入れの計数みたいな方法でした。
水曜木曜と休みでしたが、極力外出はするなと言われ、前年の同時期に水疱瘡にかかって以来の完全な自宅待機で、テレビや鉄道の本を見るほかはありませんでした。
そして学級閉鎖最終日の木曜、夜に「パン屋のケンちゃん」を見ていて体がだるくなり、母が額に手を当てて体温計で熱を測ると何と38度もあり、翌日登校のところを休みました。
ところが自宅で寝ていた昼過ぎに登校したクラスの近所の男子が来て学級新聞を持ってきたので母が驚いて聞いたところ、この日も風邪でクラスの半数が欠席したので午前で帰宅したということでした。

2年最後の終業式後に入った春休みには、母と幼稚園を出たばかりの妹と近所の母子たちで松谷みよ子さん原作の映画「ふたりのイーダ」を見に行ったり、近所の子供会ぐるみで柳町のスケートリンク隣にあった釧路市厚生年金体育館へ芹洋子さんのコンサートを見に行ったりと、ただでさえこれから3年生になるワクワク感に拍車がかかる日々を過ごしました。

  1. 2015/10/04(日) 20:30:42|
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