trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

学校生活の方も…②

5月中旬に入り、恒例の釧路川(現・新くしろ川)沿いの河畔公園への徒歩での遠足が行われました。
5月のゴールデンウイーク明けの7日の土曜日にクラス有志で河畔公園へサイクリングに行ったのですが、全体的に乗り気でなかったようで、公園でお昼を食べた後自然解散になり何とも後味が良くなかった直後だけに、気を取り直しての遠足になりました。
新しいクラスで初めての遠足だけに気分もウキウキしました。自分にとって釧路で3度目の春の遠足は、極端になじめなかったりはしゃぐことなく至って平静で、お弁当やおやつが一層おいしく感じられました。
飲み食いが一段落したところで、先生を中心にクラスで電車ごっこをし、縄跳びの縄を使って僕が先頭の運転士に、先生が中間辺りに入り前後にクラスの人たちが入ってみんなで
「ポッポー」「ピッピー」
と汽笛や車掌の笛のまねをして歩きました。盛り上がったところで先生が
「戸締まり用心火の用心~戸締まり用心火の用心♪」
と、テレビで毎夕放映される日本船舶振興会のスポットで流れる歌を歌い、みんなも一緒に歌いました。笹川良一氏や山本直純氏、高見山が子供達と一緒に法被姿で拍子木を叩いて通りを歩くシーンが脳裏に浮かび、ますます楽しさが増してきました。

小学校から廃止された雄別鉄道線の跡の盛り土を歩いて河畔公園を往復するこの春の遠足、僕はこのまま6年まで味わうものとこのときは疑いませんでした。
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  1. 2015/11/22(日) 20:48:00|
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学校生活の方も…①

新居での生活と並行、連動するかのようにゴールデンウイーク明けから本格的に充実してきました。
特に面白かったのは社会で、副教材「くしろ」で釧路周辺の先住民たちの暮らしや入植者による開拓の歴史、林業や製紙業・酪農・漁業・炭鉱等の発展の歴史から始まり、地域のことが好きな僕には興味津々でした。
そういう中で特に目を引いたのは、日本史の教科書なら九州の官営八幡製鉄所が操業を開始したとしきりに述べられる1901(明治34)年に釧路と白糠の間に鉄道が開業したことで、故郷北見の鉄道の歴史も詳しく知らなかったのもそっちのけでその箇所にのめり込みました。またその釧路~白糠間の鉄道の車両がそれまで川湯温泉近くの硫黄山と標茶を結んでいた鉄道から移ってきたこと、当時の釧路駅が現在の市役所近くの幸町公園の場所にあったりと、鉄道好きの僕にはこれまでそれほど興味が湧かなかった社会の時間が楽しくなるのに十分でした。
一方「くしろ」での授業と並行して、班別に小学校を中心にした通学エリア全体の地図を、大きな模造紙に色鉛筆で道路や建物を書いたり、小さく切り抜いた画用紙にスーパー等のお店や教科書や地図帳で習い始めた地図記号を書いたのを貼って作成し、班によって実にバラエティーに富んだ6枚の地図が出来上がり、教室の壁一面に貼られてよく眺めたものでした。
地図を作成するとき、学校や郵便局・交番といった公共施設は習い始めた地図記号で表しましたが、それ以外のスーパー等のお店やテナントは切り抜いた画用紙に
「せいきょう」「フクハラ」「まつだ」
等と書いて貼り、公園はそのまま色鉛筆で模造紙にじかに
「豊川公園」「江南公園」
等と書きました。

僕の班で作成したとき、お店はできるだけ屋号で表しましたが、唯一生協の左横にあった菓子店「駒屋」だけは
「それじゃ回すコマみたいじゃないか」
と笑われたので、単に
「おかしや」
と表しました。

  1. 2015/11/11(水) 22:42:17|
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新居でのスタート

2年半住んでいたマンションから移った新居は2階建てでそれまで1階建てにしか住んだことがなく2階建ては憧れだっただけに気分が一新されただけでなく憧れがかなったうれしさも重なりました。ゴールデンウイークが終わり普通なら
「ああまた学校かよ」
と気が重くなるところが、2階建ての部屋に住めて隣にスーパーがあり、また追い追い書きますが僕個人でも学研の「学習・科学」の付録が3年になって面白くなり、それでなくても授業も社会で教科書「くしろ」で勉強したり地図を勉強したりと、鉄道好きの僕の興味がそそられました。

しかし一方では、1・2年の同級生や同期のご近所さんが少し前から通っていて運動音痴で当時肥満体だった僕を鍛えるために母に柔道に通わされることになり、ゴールデンウイークが明けた5月10日の火曜日から徒歩で柳町スケートリンク隣の厚生年金体育館に、毎週火・木・土曜日の週3回、学校から帰宅して通いました。火・木が17時から19時、土曜日が15時から17時まででしたが、全くやる気がなかっただけに嫌で嫌で仕方がなく、終わりの時間が待ち遠しいくらいでした。
  1. 2015/11/09(月) 19:57:04|
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市内での引っ越し

ワクワクする3年生がスタートし、班も決まってただでさえ気持ちが新たになっていましたが、家の方でも北見から引っ越して以来2年半住んでいたマンションが、土台上げの工事をすることになり、1階に住んでいた自宅は出ないといけなくなったので、新たに引っ越すことになりました。
引っ越し先は住んでいたマンションから小学校寄りに2本目の道路沿いのマンションで、バス通りに面していて、バス通りを挟んだ向かいには文房具屋さんがあり、万が一筆記用具を使い切ったときにすぐ買えるので便利でした。
そのマンションは南北に2棟並び、2階建ての部屋が4室並んだ、首都圏で言うとテラスハウスに相当するところで、僕は南側の棟でした。隣の部屋の住人の子や北側の棟の住人の子、その隣の立派な家の住人の子も同じ小学校に通っていて、すぐに打ち解けました。特に立派な家の男の子はその年入学した妹と同期で、しかも僕の1・2年のときの担任のクラスで一層親近感がわきました。また北側の棟の女の子は僕が前に住んでいたマンションの北隣りの同期の男の子の家にしばらく居候していて、僕たちより一足先に北側の棟に引っ越していました。
引っ越しは77年4月30日の土曜日で学校も父の会社も午後から休みだったのでそれに合わせてでした。北見から母方の祖母が手伝いに来て、引っ越す距離も近かったので、まだ日も暮れない内に済みました。

引っ越した翌日5月1日の日曜日、マンションの右隣りに建設していたスーパー「タイスイ」の愛国店が大々的にオープンし、それまでせいきょうやフクハラやスーパーまつだ、スーパーダイワまで徒歩5~10分だったのが歩いてすぐで便利になりました。「タイスイ」は車で北見に行くとき市内鳥取の大塚製薬のビル隣にあったのを見て知っていましたが、場所が場所だけに行くことはないと思っていたら、自宅隣に開店して驚きました。
雨の降る中開店前の行列に僕も並び、くす玉が割れた中店に入り、せいきょうやフクハラ等とはまた違った品揃えや陳列に目を新たにしました。店を出るとちょうど僕の新しい担任の女の先生も自転車で買い物に来ていました。

翌々3日火曜日の憲法記念日、そのタイスイ前で開店記念のイベントがあり、女優の五十嵐めぐみさんがゲストで来たそうで、母がじゃんけんで勝ったかクイズで正解したか何かで五十嵐さんのサイン色紙をいただいてきました。引っ越し早々隣にスーパーが開店したり、それでなくてもご近所さんも同じ小学校ですぐ打ち解けたりと、ただでさえワクワクしたスタートの3年生の生活が一層楽しいものになりそうな気がしました。
  1. 2015/11/05(木) 10:11:17|
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ワクワクした3年生のスタート②

これからの内容が楽しみな教科書をいただいた数日後、クラスで自己紹介を一人ずつ壇上でしました。
名前とニックネーム、食べ物の好き嫌いをみんなして言いましたが、僕は当時体が大きく
「ドカベン」
と呼ばれていることを話すとみんなしてドッと笑いが起きました。
ただ、食べ物の好き嫌いは、当時激しかったので恥ずかしくて言えず
「わかりません」
とはぐらかし、帰宅して母にそのことを話すと
「あらいやだ、ちゃんと話さないとダメよ」
と笑われました。

始業式、教科書配布、自己紹介が日を追って済み、いよいよクラス内で班を作りました。男子女子それぞれ3班ずつ計6班で、1班につき6~7人で、僕の班は7人でした。
  1. 2015/11/03(火) 08:50:08|
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