trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

3年振り3度目の札幌①

終業式直後のサイクリング、ご近所さんたちとのプール、バスでの釧路市内見学と楽しいイントロが続いたところで、月が変わって8月、それも3日の水曜日、前年に連れて行ってもらえず1学期中に散々母に連れて行ってくれと催促した札幌に、母と妹と一緒に行く運びとなりました。僕には実に北見時代以来3年振りでしたが、気分としてはその3年前2度目のよりも、初めて行った4年前と似たような気分でした。
ちょうど父の会社の直属の上司の妻子3人も同日に札幌に行くことになり、小学1年の夏休みに帯広に行くときに乗った、釧路発9時20発の函館行き特急「おおぞら2号」で向かいました。
サイクリングで行った西港公園を控える新富士駅、阿寒や北見に行くときに通る国道240号線が分かれる大楽毛駅を過ぎると、車窓には目もくれず母や妹そして父の上司の妻子3人とおしゃべりに明け暮れました。
廃止された旧国鉄白糠線が分かれていた白糠駅、今は釧路市に合併された当時の音別町の音別駅そして釧路管内を出て十勝管内に入り、池田の一駅前の十弗(とおふつ)駅に差し掛かりました。初めて目にする駅で読みにくいと思いましたが、後年「十弗」がその文字から「10ドル」と読んで縁起担ぎで入場券がよく売れていたことを知りました。そして次の池田駅に着き、駅裏手の十勝ワイン醸造所の「ワイン城」と、駅から枝分かれして故郷北見に向かっていた当時の国鉄池北線に思いを巡らせ、池田を出てその次の利別駅を通過すると、向かいのホームに滝川発釧路行きの、ディーゼル機関車の引く客車の普通列車の姿が見えました。夏の期間中だけあって列車には学生かだれかの若者で一杯だった上、編成の後ろには荷物や郵便を積んだ車両が3両連なっていました。
2年前に下車した帯広に止まると、そこに住む母方の親戚に思いを巡らせ、そこから西は初めて通る風景に、4年前に初めて北見から西の方に列車で向かったときと似たような感動と新鮮さを覚えました。そばと狩勝峠で有名で、釧路駅で見た普通列車の行き先表示版で度々目にしていた新得駅に止まり、そこを出て、ちょうど落合駅に向かう途中の、列車の行き違いのできる場所(信号場)に止まったところで昼時だったので、母と妹とで食堂車に行きました。初めて札幌に行った帰りの特急「おおとり」以来2度目の食堂車でしたが、今回は前回のリボンオレンジと言わず、少しマシにトーストを注文しました。
トーストがテーブルに届き、添え付けのバターを塗って焼き立ての香ばしさとバターの濃厚さが織り成す風味を楽しんでいると、向かいの線路を函館から釧路に向かう「おおそら1号」が通過していきました。そして自分たちの列車が発車し、食事を終えて席に戻ると今度は父の上司の妻子たちが食堂車に行き、聞いた話ではカレーを食べたそうです。
十勝管内を出て落合駅、高倉健主演の浅田次郎原作の映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地になるとは知る由もなかった幾寅駅を通過して、北海道の「へそ」で後に倉本聰原作のドラマ「北の国から」の舞台にもなった富良野に近付くと、車内では白衣を着た売り子の男性がカートを押しながら
「狩勝そばはいかがですか~いかがですか」
と、折詰の箱に入った新得そばを売っていました。信州そばに勝るとも劣らぬ根強い人気を誇る新得そばが特急列車の車内で売られていたのに驚きもし、喜びもしましたが、カートではそばのほかに食堂車で調理されたであろうカレーライスまで、こちらは発泡スチロールの箱に詰めて売られていて、食堂車で食べたトーストだけでは足りなかったのもあり、母にその箱詰めのカレーを買ってもらいました。蓋を開けると、街のレストランのカレーの香りが漂い、また平素は皿に盛るのが初めて箱に入ったカレーを食べるだけに、特別な感のカレーがこんなに気軽に食べられることに感動しました。富良野を過ぎると、芦別、赤平と通過しましたが、両駅は当時まだ炭鉱に専用線が通じていて、駅構内は石炭を積んだ貨車がひしめいていました。
車窓右手に旭川から来る函館本線の複線と架線が見え、釧路からひた走ってきた根室本線が終わると、松尾ジンギスカンで有名な滝川に着きました。構内で3年振りにパンタグラフの付いた電車と電気機関車の姿が見え、4年前に初めて電車と電機を見た感動がよみがえりました。滝川から先はこれも3年振りに複線と架線下を走りましたが、頻繁に電機の引く客車列車や貨物列車とすれ違いました。このとき、その電気機関車の車体に
「ED76」
とあったのを初めて認識し、北海道の電機がED76形という形式なのをはっきりと知りました。
久し振りに見た電機の引く客車や貨物列車を再び堪能しながら、15時15分、実に3年振りの札幌に着きました。
改札を出て父の上司の妻子たちと別れ、白石区に住む伯父が迎えに来ていて、雨の降る中車で伯父宅に向かいました。
僕は助手席に乗りましたが、ちょうど前にタバコを差し込む形のシガーライターがあって伯父がそこにタバコを差して点火し、取り出して吸いました。シガーライターというと、母方の伯父の車で見たような、差さっているプラグを押して電気でコイルを赤熱させて点火するのしか見たことなかっただけに、タバコを筒に差して点火する形式のは意外でした。
伯父宅に着き、3年振りに室内に漂う木と畳の香りを味わいながら、雨上がりを待ってテレビで当時再放送していた「ジャングル大帝」の、冨田勲さん作曲のあの荘厳なオープニングを見、本編そして弘田三枝子さんが歌うこれも荘厳なエンディングを見終わると雨が上がり、外に出て近くにある函館本線の線路沿いの橋まで行って、貨物ターミナルの貨車群と通過する列車を眺めました。
夕食時になったのか、中学3年になる上の従兄が自転車で迎えに来たので帰りましたが、帰宅すると今や従兄たちは当時流行のスーパーカーに夢中で鉄道など蚊帳の外と母に言われ、みんなで笑いながら、遊びから帰って来た小学4年の下の従兄も加わって、みんなで夕食そしてだんらんの一時を過ごしました。
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  1. 2016/01/27(水) 00:39:48|
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ご近所さんたちとのプールと親子での市内見学

一学期の終業式後のサイクリングから2~3日後の7月27日か28日ぐらいだったと思いますが、僕と妹と隣の部屋の1年先輩の女の子、向かいの棟の女の子そしてその棟の隣の大きな家に住む妹の同期の男の子と一緒に、鳥取神社の隣にあるマンモスプールに泳ぎに行きました。その1年先輩の女の子のお父さんが車に乗せて連れて行ってくれまして、プールに着くと着替えて水にザブンと入りました。
プールは、夏場の学校のプール学習で毎年行っていましたが、プライベートでは前年夏に行ったきりでした。またプールは冬はスケートリンクになり、この年の1月の冬休みに行きました。いずれも家族で、ご近所さん同士で行ったのは初めてでした。
僕と大きな家の男の子はそのまま泳ぎましたが、女の子たちはゴムボートを借りて乗り、僕たち男の子組がそのボートを押したり引いたりしました。
すると、ちょうど僕のクラスの男子の一人が泳ぎに来ていて、うちの女の子たちをからかったので、女の子たちもからかい返しました。僕はそれを笑いながら見ていました。ちなみにその同級生は旧雄鉄線沿いの大きな家に住んでいて、お母さんが釧路駅前の北大通りでボタン店をやっていました。またその同級生自身も新聞のチラシで子供服のモデルで出たことがあり、クラスで話題になりました。
お昼に食堂でうどんやフレンチドッグ等をみんなで食べ、それからまた泳いで、夕方前に帰宅しましたが、家族でも級友でもなくご近所さん同士での初のプールは、僕の釧路時代の華やかな思い出の一つになりました。

そのプールの週の土曜日だったでしょうか、今度は母と妹とで、釧路市内のバスでの見学に行きました。
釧路駅前のバスターミナルに行き、観光バスで大楽毛から幣舞橋、春採湖、国鉄釧網本線に沿って釧路湿原の展望台に行って参加者全員で記念写真を撮ったりと、1年の秋のバス遠足とは違ったコースでの見学は、プライベートだけに純粋に市内見学を楽しめ、先のサイクリングとプールと合わせて、この夏休みの前哨戦となりました。差し詰め、北見の保育園時代の73年の夏休みに、保育園での網走湖への親子旅行が楽しかったのと、その後汽車で女満別へ泳ぎに行ったことに相当するところでしょう。
  1. 2016/01/19(火) 07:25:06|
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釧路時代3度目の夏休み

昨日でこのブログもようやく1周年になりました。頑張って続けて参ります。

副教材「くしろ」をきっかけに釧路市内の臨港鉄道や阿寒にかつてあった雄別炭鉱からの石炭を釧路港まで運んだ雄別鉄道のことが更にわかり、授業もプライベートも楽しく充実してきた3年の1学期が終わり、7月25日の終業式を迎えました。
通知表には
「女子と話すことが多く男子と話すことが少ないので、その殻を破ってほしい、一度習った漢字を応用して使うところは素晴らしい」
とありましたが、新しいクラスでは、女子が前と同じクラスだった人を中心に比較的話しやすかった一方、男子は僕の偏食や運動オンチに厳しく荒っぽい人が目立っていて警戒して避けることが多く、先生も母も良く思っていなかったようでした。実際その荒っぽい男子からいじめられて泣き、それを母が知って
「もうちょっとああいう子たちと仲良くなればね…」
と、悪っぽい子たちに取り入ってほしそうで寂しくなりました。
しかしそれでも僕は自分の鉄道趣味にのめり込み、それが自信になって漢字をよく覚えたり、副教材「くしろ」に他のどの教科書よりも興味を持ちました。

終業式を終えて一旦帰宅し、お弁当やおやつを持って自転車に乗り、学校に集まりました。
本当なら5月にクラスでサイクリングに行ったけど何かまとまらず自然解散になり、クラスの親子全員参加で終業式後に行く予定が立ち消えになり、それっきりになると思いきや、先生が
「いっそ有志だけで行こうか」
と言ったので、僕を含めクラスの半数で先生引率で行きました。
途中まではゴールデンウイークに母と妹と前のクラスの同級生親子で行ったときと同じ、旧雄別鉄道跡のサイクリングロードを走り、そこから左折して南下して、国鉄で釧路駅の一つ帯広寄りの新富士駅南側に隣接する、西港公園(正しくは「西港臨海公園」)まで行きました。
父の車や1年のバス遠足で西港の東京行きフェリー乗り場や新富士駅そばは通りましたが、西港公園は僕自身学校でも個人でも初めてで、新鮮な気分でした。
先にテーブルに適当に座ってお弁当とおやつを広げ、みんなで談笑しながら食べました。新富士駅に隣接しているともなれば、僕の目は当然駅に止まる列車に釘付けでした。
新富士駅は旅客も扱っていますが、メインは貨物で、駅北側にある十條製紙(現・日本製紙)の工場からの紙を積んだ貨車や、釧路港の油槽所からの石油タンク車、更には当時幣舞橋のすぐ北西にあった旧・浜釧路駅からの貨車が出入りしていて、僕のような貨物列車好きにはこたえられない駅の一つです。つい最近まで気にも留めませんでしたが、釧路にあって何故「富士」の名が掛かっているのかと思ったら、十條製紙が釧路に進出したときは静岡県富士市が本拠地の「富士製紙」という名前で、それでその紙を積み出すために新富士駅を名乗ったと知りました。
お弁当を食べ終えて少ししたところで、みんなでドッジボールをしました。運動オンチの僕でもドッジボールとなれば、もうそんなことも忘れてボールをぶつけたりボールから逃げることばかりで、つくづく誰でも楽しめて学校の思い出になるのも今思えばうなずけるものでした。
ドッジボールも終わり、後はちょこちょこ話したり園内のブランコや滑り台で遊んだり展望台になっている小高い山に登ったりして、まだ日が明るいうちに行きに来た道を逆走して帰りながら自然解散しました。僕も先生といろいろ話しながらサイクリングロードを走り、新釧路川にかかる鶴見橋を渡って我が街・愛国に入ったところで先生や他のみんなと別れて帰宅しました。そしてこれからいいことがありそうなワクワク感を膨らませたのであります。
  1. 2016/01/12(火) 19:48:40|
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3年1学期の落ち穂拾い

夏休みを前に。

運動音痴や給食の好き嫌いで先生や荒っぽい同級生に目を付けられこそすれ、3年生のときは釧路に来て初めてワクワクした楽しいときでありました。
好き嫌いが激しく、給食でいつも盛り付けは少なめにと注文してくすぶられた中、5月には小学校開校以来初めての米飯給食があり、カレーライスが出ました。
釧路の小学校の給食で米飯は今まで聞いたことがなく、ずっとパンか麺類でいくものと思っていただけに、米飯は驚きもし、またなぜか恥ずかしい気もしました。
少なめに盛り付けてといつものようにリクエストして後悔しましたが、カレーは僕の大好物で、ルーも調理先の小学校のおばちゃんの手作りとはいえ、ボンカレーやククレカレーみたいなレトルトっぽい味もし、また街の食堂のカレーの味もして、またカレーが出るといいなと思いました。

6月に北見に行ってきた週の木曜日だったと思いますが、当時北海道のNHKで毎週木曜日夜7時半からの30分放送の紀行番組「ほっかいどう7:30」というのがあり、この回は釧路市内を走る貨物専用の鉄道・釧路臨港鉄道を取り上げたので、事前の番宣で知っていた僕は、いつもなら「パン屋のケンちゃん」を見るところをNHKにチャンネルを合わせました。
旧釧路川(当時)沿いの、久寿里橋のすぐそばの城山駅から国鉄と接続する東釧路駅、石炭の積み出しがほとんどの春採駅、石炭の取り降ろし専用の知人(しりと)駅を経て、旧釧路川河口の幣舞橋南側の、倉庫やセメントサイロが並ぶ臨港駅までを環状に結んでいたこの鉄道の思い出話を、インタビューを受けた年配の男性がしていて
「臨港鉄道の客車によく乗って買物等に出た」
等と、以前は旅客輸送も行っていたことまで話していて、僕も当時にタイムスリップしてその客車に乗りたいと思いました。
臨港駅で扱っていたセメントや石油、城山駅で扱っていた一般の貨物もありましたが、主力は春採~知人間の石炭輸送で、番組も春採から知人までの石炭輸送の模様を放送しました。
石炭列車がディーゼル機関車を先頭と最後尾に連結した「プッシュプル」方式だったのもここで初めて知り、とにかく番組に釘付けでした。
春採駅から春採湖・千代の浦海岸に沿って走り、知人駅の取り降ろし場に着くと、機関車からの遠隔操作で石炭車の両脇の羽根が開いて石炭が一気に下に落ちたのはまさに圧巻でした。
番組終了時、メインタイトルが流れる中、凸型のオレンジ色のディーゼル機関車が、蒸気機関車さながらのロッド(車輪同士をつなぐ連結棒)を回してゆっくりと走り去ってゆくシーンは、その後も度々思い出して、両手でそのロッドを回すマネをしたものでした。

番組から一月がたち、夏休みを控えた7月17日か24日の日曜日、父の運転する会社の車で家族で釧路市内を回り、そのついでに番組で石炭列車がそばを通った千代の浦海岸に寄って自分だけ泳ぎ、両親と妹はそばで見ていました。
最寄りの道路に車を止めて海岸に行くとき、生意気にも僕は
「気を付けて、下は線路だよ」
と母に注意しました。母はそのことをまだ知らなくて、線路を見て
「ほんとだ」
と驚いていました。
浅瀬で水につかり、波打ち際で寝て押し寄せては引く海の水の冷たさを味わいましたが、父に
「流されると危ないからやめなさい」
と言われ、波打ち際から離れました。
小学校1年の1学期の終わりの日曜日にも、母と妹の3人で海に行き、また2年の秋のバス遠足で桂恋海岸に行きましたが、いずれも浜辺で砂遊びや水遊びをしただけで、この年の千代の浦が釧路の海での初泳ぎでした。また野外で泳ぐのは74年夏の網走湖以来3年振りで、隔世の感がありました。
  1. 2016/01/08(金) 22:07:57|
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明けましておめでとうございます

おかげさまを持ちましてこのブログも開始して1年を迎えることができました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

このブログ、登録は4年前にしながらなかなか書けず昨年1月にようやく書けるようになりました。
しかし、更に10年以上前から夢を描いていながら実行に移せないでもんもんとしている夢がありますので、ここで公言いたします。
「鉄道の列車のクラフトを作って誰かに認めてもらう」
です!
どんな列車かって?それはできてのお楽しみということで。
  1. 2016/01/01(金) 09:30:56|
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