trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

3年振り3度目の札幌⑥

釧路で前に住んでいたマンションで一緒だったNさんの家をおいとまして、今度は同じ札幌の西区でも琴似駅に比較的近いところに移り住んだ、こちらも釧路の同じマンションで一緒だった、Yさんの家にお邪魔しました。
Yさんにも前のマンション時代にお世話になりましたが、YさんはNさんよりも一足早い前年の6月にご主人の転勤で札幌に移り、釧路市内のホテルでNさん達と一緒に中華料理を囲んで送別会をしました。
Yさんは幼稚園の娘さんとご主人の3人家族でした。お邪魔して釧路時代や先程までお邪魔したNさんの話で盛り上がり、ちょうど夕食の時間になったので、まず5人でテーブルを囲みました。夕食が済み、みんなしてテレビを見ていると、ご主人が帰ってきて、互いにあいさつをし、ご主人が夕食に入りました。
テレビの最中にお風呂に入りましたが、そのお風呂が自宅のよりもきれいに見えたので、何でできているのか聞くと、Yさんが
「これはポリよ」
と教えてくれて、僕は
「うちもポリがいいな」
と言い、母とYさんで笑いました。僕の自宅の浴室は前のマンションでは浴槽も床もポリでひび割れ等がなく清潔な感じでしたが、引っ越してからは浴槽はポリでも壁と床がタイルで所々ひび割れがあり、すき間からたまにわらじ虫が入ってきて気持ち悪く、前のマンションの浴室が良かったと思っていたほどでした。
お風呂から上がって再びテレビを見ていると、窓に雨粒と一緒に何か砂みたいのが打ち付けられたのが見えて、何事かと思いましたが、ご主人が
「ああ、火山灰だ」
と声を上げて、砂みたいなものの正体がわかり、更にテレビをNHKに変えると噴火の情報が伝えられていて、室蘭に近い、有珠山という火山が噴火してその火山灰が飛んできたことがわかりました。道内で火山が噴火したことだけでも自分には生まれて初めてでしたが、旅先ながら自分のいるところまで火山灰が飛んできたのは更に驚きました。有珠山の火山灰はこのとき、有珠山周辺の伊達市や室蘭のみならず、苫小牧更には札幌等、広範囲に飛んだそうです。

翌8月9日の朝起きて朝食をご馳走になり、ご主人が出勤して少ししてからYさんの付き添いで地下鉄東西線琴似駅まで歩いて向かうと、道の脇の排水溝に雨水と一緒に雪のようなものが積もっていて、目を凝らすと火山灰なのがわかりました。地下鉄に乗る前にダイエーや近くの店を歩き回り、たまたま文房具屋さんに入ると、磁石のセットが売られていて、セットには自分で磁石で砂場から集めた砂鉄をしまう白い細長いケースも入っていて、欲しいと思いましたが、それ程欲しかったわけでもないので言い出さず、代わりに長方形のポケットサイズで本格的なものほどには倍率が高くない顕微鏡を買ってもらいました。
琴似駅に着き、改札前でYさんに見送られて地下鉄に乗り、終点の白石でバスに乗り換え、伯父の家に戻りました。
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  1. 2016/03/20(日) 22:02:12|
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3年振り3度目の札幌⑤

札幌に着いて5日目の8月7日、今度は僕と母と妹だけで、釧路で前に住んでいたマンションの住人だった、Nさんの家にお邪魔しました。Nさんは僕たちが釧路に住み始めてからずっとお世話になりましたが、前年10月にご主人の転勤で札幌に引っ越しました。しかし母が電話や手紙を時々やり取りしていて、今回僕たちが札幌に行ったついでにお邪魔の運びとなりました。
Nさんは西区に住んでいましたが、西区でも北区に近く、北海道大学がそばにありました。また、Nさんは釧路の前に札幌に住んでいて、再びの札幌暮らしでした。
幼稚園に通う娘さんとまだヨチヨチ歩きの息子さんと一緒に、ご主人が帰って来るまで6人で釧路時代さながらに遊んだりおしゃべりを楽しみました。ご主人は電電公社に勤めていて、土日も平日も関係ありませんでした。
部屋にあった娘さん向けの絵本があったので、手に取って読みました。童謡の本があり、その中に「りんごのひとりごと」という歌が収められていて、歌詞に
「はこにつめられきしゃぽっぽ」
とあったのを見て、北見の保育園時代に先生が歌っていてその部分が印象に残りながら曲名がわからずずっと引っ掛かっていただけに、曲名とすべての歌詞がわかり、ようやく胸のつかえが取れた気分でした。その「りんごのひとりごと」の歌詞を紙に書き写し、自作でりんごを積んだ汽車の絵を添えて持ち帰りました。
また、みかんにまつわる童謡もあり、みかんの主産地が静岡と和歌山という話をしましたが、自信を持って
「『わかやま』って『若山』と書くんだよね」
と言い、Nさんに
「残念でした、『和歌山』って書くんです」
と笑われました。

ご主人が夕方に帰宅して7人で夕食のテーブルを囲み、テレビを見たりしてから寝て、翌8日の月曜にご主人が再び出勤して、6人で近くの北大農場を散歩しました。農場にはポプラが立ち、Nさんが、学生さんが農場で農作業だけでなく草むらで柔道等もしていることを話してくれました。前日に続いて釧路時代に最初に住んだマンション時代を思わせるひと時でした。
  1. 2016/03/15(火) 17:31:47|
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3年振り3度目の札幌④

小樽で水族館と鉄道記念館を堪能させてもらった翌6日の土曜日、これも伯父の車で今度は札幌の北部近郊の、海に面する石狩町(現・石狩市)に当時住んでいた、父方の一番上の叔母のところに、伯父と下の従兄と僕と母と妹とで行きました。
一番上の叔母は主人が電電公社に勤めていて、僕が北見時代によく顔を合わせていたときは札幌市内に勤め住んでいましたが、このころは石狩局勤務で町内に住んでいました。北見や釧路に住んでいただけに僕たちはその叔母のところにこれまで行ったことがなく、今回初めてお邪魔しました。
自宅は海に近かったようで、裏手に砂地が広がっていました。石狩町自体も行くのが初めてで、札幌近郊に鉄道の通らない町があったのも新鮮に思えました。窓を開けてレースのカーテンを閉めていただけに、暑い中でも涼しい風が程よく入って快適でした。
叔母とその主人と従姉弟そして僕たちとで9人とにぎやかになり、差し出されたスイカと麦茶で談笑しました。下の従兄がちょこっといじわるをしたのにムッとした場面もありましたが、前年10月の二番目の叔母の結婚式で北見で会って以来の叔母たちとの時間は、伯父と従兄がいたこともあって、あたかも北見の父方の祖父母宅がそのまま石狩町にあるかのようでした。
にぎやかな時間を終えて車で叔母宅を離れ、前日の小樽への道中とはまた違った風景が目に入りました。石狩町が札幌のベッドタウンでもあったらしく住宅がちらほらと見えましたが、その住宅も徐々に密集して、再び札幌市内に入ったようでした。
石狩から札幌への道路を南下すると、鉄道の踏切に差し掛かり、僕が乗っていた助手席から見える左手に駅が見えました。意外な場所で線路が見えたので
「この線路何線?」
と聞くと、伯父が
「これは札沼線だ」
と教えてくれました。テレビのニュースで名前は目にしていましたが、「さつぬません」と読んでいたところを初めて「さっしょうせん」と読むことを知りました。札幌の一つ小樽寄りの桑園駅から北上して滝川市の真西に位置する新十津川町の新十津川駅まで通るローカル線ですが、僕が保育園に入った1972(昭和47)年までは深川市より北西に位置する沼田町の石狩沼田駅まで通っていたので、札幌の「札」と沼田の「沼」を取って「札沼線」と名付けられました。そのことを祖父母宅にあった国鉄の百年史写真集で知っていて、
「昔は沼田まで行っていたんだよね」
と言うと、伯父と母して
「ほう、よく知っているじゃない」
と笑いました。
しかしその札沼線の踏切の通りと左手に見えた駅の周辺に、その後思わぬご縁があること、またその札沼線の終点の新十津川町が母方の祖母に深い縁があったことなど当時は知る由もありませんでした。

帰宅して夕食を終え、土曜日なので夜7時からHBCで「日本昔ばなし」、7時半からHTBで「ジャッカー電撃隊」、8時から再びHBCで「8時だヨ!全員集合」と、当時お決まりの子供達に人気の番組を楽しみ、チャンネルはそのままで9時からは伯父夫婦と母が「Gメン'75」を見ました。「キイハンター」から人気があった丹波哲郎主演のTBS系土曜日夜9時のドラマ枠は、「キイハンター」は少し見たことがあるもののその後の「アイフル大作戦」と「バーディー大作戦」は番組名すら知らず、小学校入学のときに始まった「Gメン」は番組名は知っていても夜9時でいつもは寝ている時間で見られるわけがなく、内容はわからないながら今回初めて見ました。
その「Gメン」が終わって夜9時55分から「お天気メモ」という天気予報があり、これも初めて見ましたが、北見や釧路にもあったデパート「金市舘」の提供で、慣れ親しんできたデパートが番組のスポンサーという意外さに驚きました。
その「金市舘」提供の「お天気メモ」は、呉服や洋服中心のデパートらしくバックの画像がファッションの先端のイタリアかフランスの街の風景で、金市舘のテーマソングと言われていたBGMがコミカルで印象的でした。そのBGMを聴いて、北見の金市舘を思い出し、更には何故か北見の祖父母宅に貼られていた北見駅の時刻表の一番下の池北線(後の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線で現在は廃止)の欄に、始発列車が新得行きとなっていたのを思い出しました。新得というと、帯広に近く釧路からは日に3往復普通列車が運転されていましたが、北見からも1往復運転されていました。池北線の北見から池田方面の列車は池田と帯広行きが大方だっただけに、新得行きは意外でした。
  1. 2016/03/04(金) 12:40:43|
  2. 鉄道
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