trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

どうしても見たかった鉄道の本

小学校3年になり、5月にそれまでのマンションから近くの別のマンションに引っ越してからのことですが、前のマンションの隣だった5組のH君の家に、鉄道の絵本がありました。
その本には、新幹線やブルートレイン、首都圏・関西圏の国電(当時)、駅や線路・信号の仕組みや職員の仕事その他もろもろが写真や絵で詳しく説明されていましたが、ページ中程に貨物列車が描かれていたものの、H君が小さいころにいたずらで破っていて、一番興味のある貨物列車だけに、見れなかったのがもどかしくて仕方がありませんでした。
それでも見開きで左端と右端、上端はかろうじて見れて、左端に当時国鉄最長の車体の貨物用電気機関車だったEH10形に続いてタンク車(石油や化学薬品)・有蓋車(一般の品物)・無蓋車(砂や砂利等)・冷蔵車(魚や肉)、右端に長物車(丸太や電柱等の長尺物)・車運車(乗用車)・車掌室付きのコンテナ車が描かれ、上端右側には「おおものしゃ」のキャプションが書かれていて、要は冷蔵車と長物車の間に大物車(変圧器等の重量物を運ぶ)とそれ以外の貨車があるはずでしたが、大物車以外に何が連結されているのか、そしてどういう順番で連結されているのかわからない状態でした。
ところが、そんなことを忘れたか忘れないかぐらいの9月、前年父の会社の忘年会をした飲食店の子の同級生T君とその友人だった1組のA君と話をしていて、何の気なしにその鉄道の本のことを持ち出したところ、ちょうどA君がその鉄道の本を含めた絵本のシリーズを全巻持っていて、T君もそのシリーズを全巻買うというので、届いたら見せてもらうことにしました。
そして届いてからT君の家に行き、新品で当然ながら破られもしていないその鉄道の本を見せてもらい、ページ中程を開くと、先の貨物列車の全景がしっかりと描かれていて目を見開きました。
先の冷蔵車の後には通風車(野菜・果物を運ぶ)・家畜車(牛・馬)・豚積車・大物車と続き、それから先の長物車以降最後尾のコンテナ車までと、H君宅の本で見るに見れなかった貨物列車の全容が見られて、もううれしくてうれしくて仕方がありませんでした。
早速新聞の折込チラシの裏の白い部分にその貨物列車を鉛筆で書き写し、自宅に持ち帰りました。
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  1. 2016/06/30(木) 23:18:16|
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その他もろもろ①

9月に入り班替えがあり、僕個人が母の北見の実家の改築祝いに行き、その後教育実習生がクラスに来て、給食や体育や習い事で嫌な事がある中でも、にぎやかさが出てきました。
9月の初めに一学期の終わりに続く年度で二度目のプール学習があり、貸し切りバスで十條製紙の工場裏手の鳥取神社隣のプールへ行きましたが、他の種目が不得手な中で僕は水潜りが得意で、普段僕に目を付けていた男子でさえもこのときは僕に遊び半分で負ぶさってきたりして、結構楽しめました。

9月の下旬、まだ暑いさなか、実習生も見守る中で、この時期恒例のマラソン大会があり、僕は毎年下位の成績でしたが、母が見に来ていて、1年生の妹も参加しただけに、いつもの大会とは何か一味違う、いい緊張感が伴った雰囲気でした。

10月1日の土曜日、雨が降る中午後3時に厚生年金体育館へ柔道に行き、身が入らず練習も大してしなくていつも落ちてばかりいたランクアップ試験でようやく合格して1ランクアップして、さすがの僕も気分が良く、5時に体育館を出ると、ちょうど父が会社のライトバンに乗ってそばを通って、止まってドアを開けたので助手席に乗りました。
しばらくして、体育館に程近い食品会社に止まり、父がその会社を訪れて話をしていたようで、その間僕は車内で待っていました。
ようやく父が話を終えて車に戻り、車を走らせて、前年暮れに会社の忘年会をやった、同級生のT君の喫茶店に入り、父はコーヒーを飲み、僕はアイスクリームを食べました。T君も店を手伝っていて
「おう、どうしたんだ?」
と声をかけてきました。
店内でテレビが流れていて、チャンネルがSTVになっていて、ちょうど夕方6時を回り「ムシムシ大行進」という虫の生態を映した5分間のミニ科学番組と「少年シンドバッド」という10分間の冒険アニメが再放送されていて、柔道でランクアップしてうれしいさなかに父がアイスクリームを食べさせてくれるわ、店のテレビで好きな番組が流れるわで、ゆううつ気味な二学期の中の、乾いた大地でようやく見付けたオアシスのようなひとときでした。
後日T君が
「また店に来たらアイスクリームを食べさせてやるから」
と言ってくれました。
このころ、土曜日の夕方といえば、5時台にHBCテレビでTBS系のお笑い番組「笑って笑って60分!」が小学校入学から放送されていて、1・2年のときは毎週見ていましたが、3年になりSTVで「快傑ズバット!」という、宮内洋さん主演の特撮ヒーロー番組が放送されてからは柔道が終わってすぐ帰宅して5時半の放送開始から見ていました。水木一郎さんの歌う琵琶の力強い音色がバックの主題歌が独特で、主人公がかつての同僚を殺した犯人を追ってギターを背負ってさすらいの旅をしながら、行く先々で悪党たちと戦い成敗する正義のヒーローものでした。他局の「ゴレンジャー」「仮面ライダー」と違いどことなく異色感が強く、それがまた一層僕を釘付けにしましたが、後年調べたら何と当時は北海道に正式なネット局が無かった東京12チャンネル(現テレビ東京)の制作で、道理でマイナー感が漂っていたと思いました。

その一方、改築祝いで北見に行く前の9月の前半だったと思いますが、僕のいた4組と1組の間でいがみ合いがありました。詳しい内容は知りませんでしたが、1組は内心ほのかに憧れていた女の子がいただけに一緒になれなかったわだかまりがあり、加えて元2年3組にいて僕のことをいじめていたTというヤツがいたので、僕は内心
「おう、1組なんてやっちまえ!」
と思っていました。僕をクラスで目の敵にしていた男子もこのときは僕の話を聞いて
「Tのことやっつけてやるから」
と言いました。
しかしある日、1組にいた僕の1・2年のときの同級生の女の子Aさんと同じ帰り道になり、同級生だったよしみで話す中で1組と4組のいがみ合いのことを聞いたところ、4組の側が先にちょっかいを出したのが原因と聞きました。
1組には僕の担任のS先生が1・2年のとき担任だった子が割と多かっただけに、S先生も胸中複雑だったろうと思いましたが、知らぬ間にいがみ合いも消え、平素に戻りました。
  1. 2016/06/26(日) 21:58:44|
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教育実習生が来る

北見で夏休みのリベンジが果たされて帰宅した翌日の9月16日、再びいつもの学校生活に戻りました。1学期に同じ班で、夏休みに北見に行ったというS君に北見に行った目的を聞かれ、改築祝いだったことを話しました。
しかし給食での少食振りや運動オンチ振りは相変わらずで、運動オンチを責められたり給食でたくさん食べることを強要されてばかりで、体育と給食の時間そして火・木・土曜日の帰宅後の柔道はゆううつで仕方がありませんでした。

そんな中、翌週の9月19日の月曜日だったでしょうか、北海道教育大学釧路校から6人の教育実習生が来て、6週間実習を受けることになり、僕の学年にも1組に女性の、僕のいた4組に男性の実習生が入ってきました。
担任の立ち会いで教壇に立って授業をしたり、給食のときは毎日違う班の机に座ってみんなと一緒に食べたりと、普段よりにぎわいました。実習生は大学3年で、教育大学では3年で全員実習を受けていたようでした。
僕の学年は1年のときから秋に実習生が来て、1年のときは他のクラスに、2年のときは僕のクラスに来ましたが、今回は1組と僕のいた4組に来ました。
2年のときに僕のクラスに来た実習生は女性でしたが、今回は男性で、先生というと男のイメージが強かっただけに、印象に残りました。その男性の実習生のK先生に、前の年に僕のクラスに来た実習生のS先生のことを聞くと、名前は聞いた覚えがあるということでした。
  1. 2016/06/14(火) 18:40:56|
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夏休みの北見でのリベンジ②

翌9月15日は敬老の日で、学校が休みだったので僕と妹には前日の早退はやむを得なかったものの、北見に行くのは好都合でした。
ちょうどこの日は実家に近い北見神社のお祭りで、神社から駅方面に延びる道路には露店がずらりと並ぶので、列車に乗るまでの間、妹と母と祖母との4人で露店を歩きました。伯母たち4人は仕事だったか私用で一緒に行けませんでした。
実家から歩いて露店に着くと、例に漏れずたくさんの人だかりでした。イカ焼きやらフレンチドッグやら金魚すくいやらおなじみの露店が並ぶ中で
「チョ~コチョコチョコチョコバナナはいかがですか~!」
という掛け声が聞こえたので振り向くと
「チョコバナナ」
と書かれた看板を掛けた露店があり、母に言って1本買ってもらいました。割り箸に刺したバナナにチョコレートをコーティングしたお菓子でしたが、全く初めてのお祭りの味にうれしくなりました。チョコレートとバナナがこんなに相性がいいとは思いませんでした。
ほかにも射的やらおもちゃ屋さんやら並ぶ中で、くじ引きの露店があり、僕と妹でそれぞれ引くと、共にタバコのパイプを模したパイプの先に小さな漏斗状のカゴを付けてそのカゴに入れたボールを吹いて遊ぶものが当たりました。僕のはパイプが赤でカゴが青、ボールが黄色と三原色の組み合わせで気に入りました。
思えば北見神社のお祭りは3年前の北見時代最後の年にも家族全員と伯母たち一家全員して行き、そのときは電池で動く汽車のおもちゃを買ってもらえずぜんまいで動くのにしてと言われて譲らずとうとう買ってもらえなかった悔しい思い出がありましたが、3年振りの今回は先の青いカゴを付けた赤いパイプで黄色のボールを吹くおもちゃが当たったので、前回の屈辱が晴れました。
列車の時間も近付いたので駅に向かい、祖母の見送りで16時20分くらい発の急行「大雪2号」で北見を出ました。思えば「大雪2号」は3年前に父と2人で札幌に行った帰りに乗りましたが、このときが札幌→北見の乗車だったのが今回は残りの部分の北見→釧路の乗車になりました。当時の下り「大雪2号」は前年秋に父方の一番下の叔母の結婚式で北見に行ったときに乗った上り「大雪3号」とペアになる列車で、札幌~釧路間を旭川・北見・網走経由で結んでいて、同区間は普通富良野・帯広経由だろうによくそんな遠回りするものと驚きました。
車内で先のパイプでボールを吹いて遊びながら母と妹としゃべり、時間の過ぎるのも忘れていると、列車は網走の一つ前の呼人駅で止まり、網走から札幌に向かう特急「オホーツク」の通過を待ちました。北見駅で買った、解散を翌年に控えた当時のキャンディーズがCMをやっていた「森のどんぐり」というチョコレート菓子を食べながら、向かいの線路を通過する「オホーツク」を凝視しました。
通過後ようやく発車して、左手に北見時代何度か泳いだ網走湖を見、網走駅に着きました。行きは違うホームで気付きませんでしたが、帰りは改札前の1番ホームに止まりまして、網走駅がこれまでの木造ログハウス風から鉄筋コンクリートに建て替えられているのがわかりました。まだグリーンのシートが掛かっていて工事中でしたが、完成したら見たいと思いました。
網走を出て釧網線に入ると、当時は停留所扱いだった桂台駅、そしてその次の鱒浦駅を過ぎました。「ますうら」は釧路にも「益浦」の地名があっただけに、網走にも異字ながら同音の地名があったのに驚きました。
左手にオホーツク海を見、斜里を出たときは既に暗くなり、次の駅に差し掛かると、DE10形ディーゼル機関車が2両連結で石油積みのタンク車を引く長い貨物列車が見えました。当時はその駅が何と言うのか知りませんでしたが、後にその駅が中斜里駅で、そのタンク車が駅から専用線が延びていたホクレンの製糖工場に燃料の重油を運んでいたこと、ほかに砂糖の精製に不可欠な石灰石積みの貨車と製品の砂糖を積んだコンテナが出入りしていたのを知りました。
清里町駅や緑駅を過ぎて網走支庁と釧路支庁の境目の峠のトンネルを抜け、川湯を経て弟子屈に着くと、向かいの改札に接したホームにDE10が止まっていて、発車して機関車の次にとび色の箱形の貨車が1両と茶色の客車が2両の混合列車とわかり、客車には
「斜里行」
の行き先表示板が掛かっていました。釧路を17時30分に出る斜里行きの客車列車でしたが、時刻表で存在は知っていたものの実際に見たのは初めてで、しかも貨車をつないだ混合列車で一層目を引きました。
真っ暗闇になった中で標茶を過ぎ、東釧路に差し掛かると
「間もなく釧路です。乗り換えのご案内です。札幌行き急行『狩勝3号』は21時30分の連絡です」
の車内放送が流れ、ようやく釧路駅に着きました。
改札を出てタクシーで自宅に戻ると父が留守番をしていて、夕食を用意していました。僕たちの留守中に前年秋から飼っていたアメリカザリガニが4匹すべて死んだことを聞き、寂しくなりましたが、寂しさに浸る間もなく、お土産やら荷物を整理してすぐ夕食を取り、入浴して床に就いて翌日からの登校に備えました。

夏休みに札幌の帰りに寄り、そこで嫌なことが続き、前年の夏休みに札幌行きをあきらめて行ったことと相まって、すっかり嫌気がさしていた故郷北見ですが、今回改築が済んで再び実家に寝泊まりできるようになり、神社のお祭りも3年前と打って変わって楽しめたので、夏休みの北見でのリベンジを果たした気分になりました。同時に、釧路から北見まで一泊二日で往復するのも、小学校1年から数えて3回目になりましたが、列車で往復したのはこれが初めてでした。近距離だからこそできた技でした。
  1. 2016/06/08(水) 13:02:18|
  2. 鉄道
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