既に学年半ばを回りましたが、3年になり、新たに習字の時間が始まりました。
本来なら国語の授業の一環ですが、毛筆と墨とすずりを使う特殊さから、通常の国語とは別に、週1時間の授業として始まりました。
そして何より意外だったのは、担任でなく、校長先生が授業を受け持っていたことです。校長先生といえば、これまで朝会や始終業式、運動会等の行事でのあいさつやお話以外は校長室にいるといった、「雲の上の人」というイメージでしたが、その校長先生が週1時間ながら僕たちに直々に授業をされるだけに、親近感が湧きました。
校長先生のKG先生は、前任のKT先生と入れ替わりで、市内最古の小学校の日進小学校から前年に赴任してきまして、KT先生がどことなく固い表情だったのに対して比較的柔和な表情で、かねてから親しみやすそうでしたが、授業で接してまさにその通りでした。
本来ならすずりに水を入れて墨を擦るところでしたが、最初から墨汁を使いました。校長先生の指導も
「ここに筆をおっつけて…」
等と、細かいところまで一つ一つ行き届いて、まさに先生自身が教えていただいたことを僕たちにそのまま伝授されていたかのようでした。
ただ、書の成果は、習字に通っているいないの差や元々上手というのが表れて、上手な人はオレンジの墨汁で
「天」
と書かれて教室に貼られましたが、僕を始め上手でない人は
「地」
と書かれて貼られず返却されたか、「天」の人とは別に貼られました。
自分はいつも「地」でいつか「天」にならないかと思いながら、家で全く練習しなかったので当然いつまでたっても「地」のままでしたが、何より同じ班の人と書き具合を見せ合ったり、校長先生と直接触れ合うのが楽しく、刺激的でした。
先生も習字の指導の合間に自身の人生経験を話され、その中で昔は体重が60kgだったのが今は42kgと痩せたと話し、クラスの中で今誰が体重があるかと聞くと、他の男子が私語っぽくさほど大きくない声で
「trainrioだ」
と笑い口調で言いました。
また、授業中肩が凝って右手で左肩をもんでいると、校長先生が
「肩が凝ったのか」
と肩をもんでくれたこともありました。帰宅してそのことを話すと、母に
「あらいやだ」
と笑われました。
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- 2016/09/21(水) 11:42:52|
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前説ながら、毎年10月ごろといえば、大体どこの小学校でも学芸会が恒例行事でありますが、内容は大体演劇や器楽演奏、合唱、踊り、そして組み体操や跳び箱等の体育でのパフォーマンスになります。
日ごろの学問や芸術・体育での成果を披露するわけですが、「学芸会」の名称はまず小学校のみで、中学校以上ですと「文化祭」、幼稚園や保育園は「おゆうぎ会」が大方の名称で、学校の位が進むに連れて、名称に内容の高度さ成熟度が反映されるように思います。
北見の保育園時代は毎年12月のクリスマス近くに「おゆうぎ会」が開かれ、1年目のときは自身は編笠にハッピを着て「花笠音頭」を踊り、他にはお母さんたちが演劇で「笠地蔵」を演じました。
2年目では自身はお遊戯「ふくろうのお医者さん」で患者さんの雀の役で出たほか、器楽演奏でカスタネットを担当しました。同じクラスの初恋の子がトライアングルだったので自分もトライアングルをしたいと言いましたがダメで、渋々カスタネットをたたいたのが思い出でした。
本当なら3年目も参加のはずでしたが、会を前に父の転勤で北見を離れ、釧路では小学校入学まで自宅で過ごしたので、最後の会の思い出が作れませんでした。
さて本題で、小学校入学以来、自身は1年でステージ上でクラス代表で抱負を述べ、2年では思いもよらず演劇で主役に抜擢されて大活躍の機会を賜った学芸会でしたが、3年の今回は登場の機会はなく、ステージ前で観客として登場者のステージを見ることになりました。ちょうど柔道に通っていて練習に出られなかったのもありますが、何にも出ずに登場者のステージを眺めるだけというのもなかなか楽しいもので、登場の機会がなかったとて、別にそれで屈辱とは無縁でした。
僕たち3年生は、踊りと器楽に分かれまして、踊りの方は「小さな季節」というタイトルで、春夏秋冬それぞれの季節別に担当が決まっていて、踊るものでした。
春は、花が咲く様を表現しましたが、夏はメロディーが一転して雷の子たちが出て来て激しい踊りを踊り、秋は枯れ葉が落ちる様、そして冬は雪が激しく降る様を踊っていました。
特徴的だったのは、夏が男子ばかりで他の季節が女子ばかりだったこと、春と秋のメロディーはゆったり調ながら春は徐々に明るくなるのに対して秋は徐々に寂しくなる感じ、夏の踊りで雷の子たちが当時流行の「電線音頭」の
「スズメが三羽留まってさ♪」
の、両手のひらを前後に揺らす踊りをそっくりそのまま踊っていたのが笑えたこと、最後の冬は8拍子のメロディーで
「雪が降ればス・テ・キ♪」
と、雪の冷たさと降る力強さを表現していて、「小さな季節」のタイトル通り、四季それぞれの特徴がくっきりとめりはり付いて表されていました。
器楽の方は、大太鼓やトライアングルにグロッケン(鉄琴)ほか、音楽の時間でよく使ったリコーダーやハーモニカ、メロディオン(鍵盤ハーモニカ)等で、当時音楽の時間で習っていた
「インディアンおどる」
等の曲を演奏しながら歌っていました。
「インディアン~」は、授業で聴いたレコードでは速いテンポでしたが、ステージ演奏では少しゆっくりで、レコードよりものろしが燃え上がる荘厳さと、インディアンたちがそれを囲んで踊り歌う力強さがひしひしと感じられました。
他の学年では、妹たちの代の1年生男子たちが「ちびっこ探偵団」という踊りを踊っていました。速いテンポの曲で、ちびっこ探偵団のメンバーが連絡を取り、作戦を練って、悪人たちを捕まえてやっつけるという内容の歌詞で、前々年に日本テレビ系で放送された子供向け実写ドラマ「少年探偵団」を思わせました。
憂鬱さが続いていた3年の2学期でしたが、バス遠足や学芸会で、どこか運気が上向くような向かないような、そんな気分がしてきました。
- 2016/09/17(土) 22:44:27|
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バス遠足やら父と車で郊外や市内を回ったりと、楽しいこともありましたが、3年の2学期の憂鬱さは当時の僕にはこの上ない苦痛で、通わされた柔道は元より、クラスでも給食の好き嫌いの激しさで先生や級友から目を付けられ、10月の担任と保護者との個別懇談では、母が担任から
「もっと給食を食べなさい」
と言われたらしく、そのことを注意されました。しかし言外には、運動オンチでクラスのいじめっ子たちからいじめられていたことまで問題視していて、担任と母親して、いじめられないようにもっともっと迎合しろという雰囲気が感じられました。今思えば
「ナメられないようにしろ」
「世渡り上手になれ」
ということで、いじめっ子を利用して僕を鍛えるつもりだったのでしょうが、僕には担任と母がいじめる側に肩入れしているように思えて、悲しくなりました。こんな嫌なことが早く去ってほしいと切に思いました。
そんな寂しい中、柔道がない日の夕方、一旦帰宅して1年のときからの級友のT君と他のクラスの男子3人して、学校のグランド裏手から当時の釧路第一高校グランド裏手に延びる砂利道を歩きながらたわいないおしゃべりをして遊びました。話はその他のクラスの男子中心で進み、そのクラスの人の話メインでした。何かと憂鬱な中で、その憂鬱さから逃れられたひとときでした。
そのころ、テレビCMでの宣伝もあって爆発的に流行したものがありました。「バンバンボール」というもので、今でいうとスカッシュのラケットのような、大きなしゃもじ型のパットに、ゴム紐でつながれたゴムボールをバンバン打って遊ぶもので、僕と妹も自宅隣のスーパー「タイスイ」で買ってもらいました。
コカコーラが出している炭酸飲料「ファンタ」の販促品として単独で売られ、替えのゴム紐とゴムボールまで別売りされましたが、物が大きい上一人でも遊べるだけに大ヒットし、学校に持ち込んで遊ぶ人も多く、コカコーラの販促品としては前年のヨーヨー以来の大流行でした。
僕と妹はさすがに学校には持ち込まず自宅で遊びましたが、ブームもピークかと思ったころ、月曜朝恒例の全校集会で生活指導担当の女性教員から、バンバンボールの校内持ち込み禁止令が出され、以後校内で遊ぶ姿が見られなくなるのと歩調を合わせるかのように、ブームも終息しました。
バンバンボールのキャンペーンCMが
「みんなで楽しくバンバンバン~♪バンバンボールだバンバンバンバン~♪おしゃもじパットでバンバンバン~♪ファンタの特別提供中~バンバンボールだバンバンバンバン♪」
という軽快な曲でかなり印象に残り、テレビで元歌を聴いたものの曲名がわからずそのまま月日が過ぎましたが、その後この元歌が、堺正章さんや井上順さんたちがいたザ・スパイダースの「バン・バン・バン」と知って驚きました。
- 2016/09/11(日) 20:33:56|
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