trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

(番外編)初めての稚内②

15時55分に特急「ライラック」を降りて、待ち時間に旭川駅周辺を初めて一人で歩き、17時35分、快速列車「なよろ」で、宗谷本線でまず名寄まで北上しました。
旭川四条駅から新旭川駅にかけては、石北本線で故郷・北見に行くのに何度も通っていて見慣れた風景でした。新旭川駅と隣接する日本製紙北海道工場旭川事業所(旧・山陽国策パルプ旭川工場)を後にし、当駅から東に分かれる石北本線の線路に故郷・北見への思いを巡らせて、初めて真北の名寄・稚内方面の線路を通りました。
左手に北旭川という、道北地区最大の貨物駅が見えました。日本の貨物列車の定期運行の北限で、旭川周辺のみならず名寄や稚内、北見・網走方面との貨物も扱う上に、所在地も旭川市のそのものズバリ「流通団地」にあるだけに、近隣の倉庫や工場からの貨物を扱うべく、広いコンテナホームを擁しています。
貨物駅の線路挟んで向かいにはJR北海道の旭川運転所があり、電車と気動車の基地になっています。
旭川市北部の住宅街にある永山を過ぎると、石北本線の新旭川以東と同じような緑の田畑風景が続き、比布(ぴっぷ)に着きました。その地名と駅名から、80年に同音の磁気絆創膏のCMが同駅のホームで収録され、その絆創膏メーカーの会長さんと樹木希林さんとの掛け合いが全国的に大ヒットしました。
その比布を出、宗谷本線の頂上と言われる塩狩駅に着き、ここで上り普通列車との交換や特急「サロベツ」の通過待ちをしました。
塩狩駅はまさしく塩狩峠にある駅で、所在地は和寒町ですが、昔は塩狩峠を境に南が「石狩」、北が「天塩」という国名で、「天塩」の「塩」と「石狩」の「狩」を取って「塩狩峠」と名付けられました。
三浦綾子さんの小説に「塩狩峠」という作品があり、実在の鉄道員・長野政雄氏が、蒸気機関車から外れて峠を逆走する客車に自ら身を投げて下敷きになり、命と引き換えに客車を止めて乗客たちを救った実話を基にしたもので、塩狩駅前にかつて三浦氏が構えていた書斎が、「三浦綾子記念館」として今も健在です。
水系も塩狩峠から南は石狩川水系ですが、ここから北は天塩川水系となって、宗谷本線にほぼ沿うように天塩川その他系列の川が流れます。
塩狩駅を出ると、同駅が所在する和寒町の中心・和寒駅に着きました。和寒は稲作・畑作が中心で、特に畑作ではキャベツの生産が有名で、秋に収穫したキャベツを冬に雪の下で保存し、春先に出荷する「越冬キャベツ」が名物で、雪の冷たさでキャベツが甘くなり、道内の餃子チェーン店で材料に利用しているところもあります。
和寒を出て、剣淵、士別と、時刻表ではかねがね知りながらもどんなところか知る由もなかった駅に止まりました。剣淵は緑の田畑が広がる中にありますが、士別は比較的にぎやかで駅前に市街地を成していました。札幌時代にガイドブックで、めん羊の産地であるほか、かつての名ボクサー・輪島功一さんが育った地でもあることを知りました。また地図で駅北西に製糖工場があることを知りましたが、実際に車窓から見た製糖工場は美幌のそれに勝るとも劣らぬ大きさでした。
士別から先は、今は名寄市に編入された旧・風連町の中心・風連駅ほかに飛び飛びで止まり、19時00分、上川総合振興局内で最北の市・名寄駅に着きました。
名寄はかつて電電公社に勤めていた父方の伯父が本別の次に住んでいて、従兄2人も同じ電電公社に入り、伯父が岩見沢に移ってからも引き続き名寄に勤務していましたが、僕は在道時代からこれまで一度も行くことはなく、今回初めての上陸になりました。
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  1. 2017/07/27(木) 21:26:40|
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(番外編)初めての稚内①

ブログ本編は77年の年末を迎えようとしていますが、今は首都圏住まいの筆者は、北海道内でも住んでいた当時から今まで、行ったことない場所がまだまだあります。
その一つ、北海道そして日本最北端の稚内に、先月ようやく行って参りました。
北見の伯母と下の従兄が80年に行ったことがありますが、僕の方は自身も両親も妹もまだ誰も行ったことがなく、いつか必ずと念願して成就の運びとなりました。

6月19日の月曜日の23時10分、筆者は東京駅八重洲口の高速バスターミナルにいました。
鉄道好きの僕としては、稚内へは東京から新函館北斗まで新幹線といきたいところですが、稚内ほか苫小牧や名寄にも寄りたく、東京から朝の新幹線では苫小牧や名寄に寄る時間が取れないので、盛岡まで夜行バスを利用して、盛岡始発の朝の新幹線で早めに北海道に上陸するスケジュールを組みました。
その日の仕事を終えて荷物をまとめて夜行バスの人となり、翌20日の朝6時35分に盛岡駅に着き、同54分発の新幹線で新函館北斗に向かいました。東京から盛岡まで夜行列車があるといいのにと思いましたが、現実に夜行列車がない以上、夜行バスをうまく使うことにしました。
以前は夜行急行「はまなす」で通った青函トンネルを、昨春開業して1年が過ぎた北海道新幹線で初めて通り、木古内からは車窓右手に函館山を望みながら、9時03分、かつて「渡島大野」という駅名で周囲は畑がほとんどだった新函館北斗に着き、そこから同12分、札幌行き特急「スーパー北斗」に乗りました。
新函館北斗から大沼までは下り勾配でスピードダウン気味でしたが、大沼からは風光明媚な大沼の風景、駅弁「いかめし」で有名な森駅に近付くと右手に駒ヶ岳が偉容をたたえ、その後は長万部・洞爺・伊達紋別・東室蘭・登別と、北海道時代そして首都圏に来て北海道に行くときに大体通ったおなじみの駅や風景が流れて、正午前に苫小牧に着きました。
それからどうするかと思いましたが、小樽行きの普通列車で次の沼ノ端まで行き、下車して1時間程、気まぐれに歩いて往復できるところまで行き、13時半過ぎに沼ノ端に戻り、すぐに来た岩見沢行き普通列車で岩見沢に向かいました。
岩見沢までは室蘭線をひた走りでしたが、追分・由仁・栗山を経て岩見沢までの線路は、北海道時代から乗ったことがないだけに、畑や牧場が広がる沿線風景に目を張りました。かつて夕張や幌内その他からの石炭を苫小牧や室蘭の港まで運んでいたそうですが、その面影はみじんも感じられませんでした。
岩見沢に着き、そこからは特急「カムイ」で旭川に向かいました。故郷北見に行って以来7年振りの札幌以北の線路で、しかも札幌を通らずに岩見沢以北へ行くのは初めてでした。
その後は美唄・砂川・滝川・深川と停車しましたが、7年前に通ったとき既に、石炭の集散地で、構内に引き込み線が多く石炭を積んだ貨車でにぎわっていた美唄と砂川は、その引き込み線跡が整地されて駐車場や建物が建っていて、やはり当時の面影はみじんも感じられませんでした。
旭川に着くと、話に聞いていましたが、7年前とは打って変わってすっかりホームが高架線になり、新しく駅ビルが建ってイオンが入っていて、首都圏でおなじみのチェーン店がイオン内に並んでいて、北海道らしさが薄れていました。
それでも、列車を待つ間に、西口の買物公園を初めて歩き、市内老舗の百貨店マルカツや閉店した旭川西武の建物を見、駅前広場の露店で焼き鳥と酎ハイで一杯やった後、今度は東口に行き、西口とは打って変わって石狩川水系の忠別川がすぐそばを流れ、遠くに大雪山を望む風景に目を丸くしました。そして、初めての、旭川から真北への旅へ心の準備をしました。
  1. 2017/07/12(水) 20:22:02|
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