trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

(番外編)初めての稚内⑥

朝9時前入りした復路の名寄は、往路で寄った夜のときとは反対に、飲み屋さんが閉まっていた代わりに、小さな喫茶店やパン屋さんが数軒開いていました。その中で、障害者の人たちが製造と店頭販売を担っているパン屋さんがあり、そこで菓子パンを2個買って朝食にしました。
農業が中心の名寄は、他の周辺市町村と共に、第三次産業が少ないようで、駅前のシャッター通りがそれを物語っていますが、そういう中で医療・福祉従事者の割合が多く、先のパン屋さんや、市内の名寄市立大学に看護や医療系の学部があるだけに、福祉や医療から名寄を新たに活性化できないものかと思いました。
駅近くの国道40号線沿いには道北地区を代表する「西條」という百貨店があり、入ろうとしましたが、まだ10時の開店前で入れず、仕方ないのでセブンやローソンを回ってコーヒーを飲んだりし、知人も誰も訪れるあてがないので、9時25分発の旭川行き特急「サロベツ」の人となりました。
往復共に旭川~名寄間と名寄~稚内間に分かれての宗谷本線全線走破でしたが、列車種別も行きが名寄まで快速で名寄から特急、帰りは名寄まで鈍行で名寄から特急と、名寄まで料金不要の快速か鈍行で名寄から特急というパターンになりました(もっとも道内は特急の自由席乗り放題のフリーきっぷなので別に特急券を買う必要がありませんでしたが)。
自由席に陣取り、行きと同じ明るい中での名寄以南の車窓で、士別の製糖工場横と塩狩駅を通過し、新旭川の製紙工場が見えたところで、前夜に宿が取れず徹夜しただけに睡魔に勝てず寝てしまい、10時19分に旭川に着いたのに気付かず、車掌さんに起こされて下車し、眠い中前日に続き旭川駅前をうろつきました。

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  1. 2017/08/22(火) 19:14:31|
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(番外編)初めての稚内⑤

初めての宗谷本線は、往路は名寄までは明るかったのが、名寄から先は真っ暗で見えず終点稚内まで寝てしまいましたが、復路は朝一だっただけに旭川まで明るい中でした。

稚内を出て次の南稚内までは、住宅や商店等の市街地が続きました。稚内駅前は観光案内所や市役所、バスやフェリーのターミナルが主でしたが、南稚内は市場やショッピングセンター等の商業施設が集中していて、稚内駅前よりもにぎやかでした。
また駅のホームも稚内は1面1線なのが南稚内は1面2線な上に車両基地があり、稚内に着いた列車は一旦南稚内に引き返して基地で清掃や点検等を行い、それから稚内に戻って客を乗せて出るようになっています。
南稚内を出ると、しばらくはサロベツ原野の緑の中を、緩やかにアップダウンしながら進みます。特に次の抜海までは、西に日本海と利尻島を望み、晴れた日には通称「利尻富士」と呼ばれる利尻岳がくっきりと見えます。今回は曇り空で島影すら見えませんでしたが、かつての蒸気機関車の時代には、サロベツ原野の緑や利尻富士をバックに走る、C55形蒸気機関車の引く客車普通列車の写真撮影でにぎわいました。
豊富までは駅前にほとんど住人のいない無人駅にことごとく止まり、豊富からは住宅や牧場がちらほらと見えます。
国鉄時代末期まで留萌まで通じていた羽幌線が分かれ、今はトナカイ牧場や雪印のバター工場でにぎわう幌延を出ると、車窓右手に、道内で2番目、国内でも4番目に長い一級河川・天塩川が迫りました。
札幌時代に道内一の石狩川や、首都圏に来て国内一の利根川や国内二の信濃川は見ましたが、天塩川は旭川より真北に行ったことがないだけに、見る機会がありませんでした。
士別市南東の天塩岳に源流を発し、士別市街から幌延まではほぼ宗谷本線に沿って流れ、そこから西に曲がって幌延町郊外と天塩町との境目で日本海に注ぐ天塩川は、石狩川や利根川等の河川に比べてコンクリート等で護岸されている箇所が少なく、自然のままの川岸が多く残されていて、石狩川や利根川と違って見ていて心が和みました。特に幌延から天塩中川までの区間は、線路下の崖っぷちのすぐ横を流れ、その美しさ力強さに、携帯電話のカメラのシャッターを押しました。
天塩中川に差し掛かると、川に加えて市街地や住宅地がちらほら見られ、7時41分に、かつてオホーツク沿岸の浜頓別を経て稚内に通じていた旧JR天北線が分かれていた音威子府に着きました。
山あいの小さな村で、かつては林業、今は木工や音威子府そばで有名で、特にそばは実を皮ごと挽いて打つので、皮の色で真っ黒な麺になり、つゆもそばの色に負けないくらいに味も色も濃いのが特徴です。
駅舎内に音威子府そばの立ち食い店があり、次の列車を待ってそばを堪能しようと思いましたが、店は10~16時まででまだ開店前だったので、大急ぎで音威子府駅正面の写真を撮り、飲み物を調達して列車に戻り、7時44分に音威子府を後にしました。
それまで列車は僕と、人相の悪そうな若い男の撮り鉄の2人だけでしたが、音威子府でその撮り鉄が降り、代わりに年配者や高校生が数人乗ってきました。高校生は音威子府と名寄のほぼ中間の美深で降りました。
美深は85年まで町内の仁宇布(にうぷ)という場所まで、「日本一の赤字ローカル線」の異名を取った旧国鉄美幸線が分かれていました。路線名の通り、美深とオホーツク沿岸の枝幸(えさし)町を結ぶ予定でしたが、仁宇布で止まったまま工事が進まず、そのまま廃止されました。
音威子府から美深を経ては天塩川、市街地や住宅地に加えて森林や農村風景が続き、住宅その他の建物が増えてきたところで、8時47分、再び名寄に戻りました。行きは夜7時の薄暗いときでしたが、帰りは朝の、日差しが少し強いときでした。
  1. 2017/08/14(月) 19:51:47|
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(番外編)初めての稚内④

日付変わって6月21日の0時過ぎに稚内に着き、ごく数軒の飲み屋さんに明かりがともっていた以外は、駅前の商店は元より「頼みの綱」と思っていたセイコーマートまで閉まっていて、酒を買うにも買えませんでした。
その上、旅行前から手当たり次第ホテルに電話しましたがどこも満室で、キャンセルで空室がないか駅前のホテルを探しましたが、やはりどこも満室で、一昨年の同時期に釧路に泊まったときとは意外にも大違いでした。
しかしよくよく考えてみれば、6月は北海道旅行のハイシーズンであり、しかも日本最北端の稚内となれば、宗谷岬や利尻島・礼文島と見どころ満載で、宿が取りにくいのもむべなるかなというものです。加えて伺ったホテルでは、どこもビジネス客も多くて、なおさらでした。
仕方ないので、駅周辺を歩き回り、駅前のベンチで夜を明かすことにしました。0時過ぎに着き、始発の鈍行が5時20分発、その次の特急「サロベツ」でも6時20分発で、それまで精々4~5時間しか寝られないので、それなら野宿した方がマシと思いました。
とはいうものの、一度寝付いて寝過ごすのも心配だったので、シャッターが閉まった商店街や近くの漁港、昔は稚内駅から貨物の引き込み線が延びていたであろう石油貯蔵タンク、フェリーターミナルを歩き回り、店で買い物や飲食ができない分、稚内の雰囲気を少しでも感じ取って
「ここが稚内だ、日本の最北端に初めて来たんだ!」
と、自分の心にあかしを刻みました。
再び駅前に戻り、駅舎内のロビーがちょうど風除室になっていて、無人だったので中で暖を取ったり寝るのも可能で、横になったりしました。
それでもそうそう寝付けず、今度は駅の周囲を歩き回り、駅舎の外に「日本最北端の線路」のオブジェとして置かれた、鉄道の線路と車止めを暗闇の中じっくりと眺めました。

寝付けないので、駅前の自販機でコーヒーやお茶を買って飲んで眠気を覚ましていると、JR駅と兼ねた「道の駅」の駐車場に車が大勢止まっていて、ナンバーを見るとやれ横浜だ大阪だ福岡だ、本州以南からの客が多くて驚きました。
その中で、福島県から来た年配の男性と話が合い、その男性が夫婦で来ていて、普段は農家を営み、稚内に車で旅に来たが宿が取れず仕方なく駐車場に車を止めて寝泊まりしていることを話すと、僕も自身が北海道出身で今は神奈川県住まいだが、今まで稚内始め旭川より真北に行ったことがなくいつか最北端に行きたいと思っていて念願かなったことを話しました。
男性は止まっていた他の車のドライバーとも話をしたようで、聞けば中には一旦車を置いて利尻や礼文に渡った人もいるが、大方は満室で宿に泊まれず仕方なく駐車場で寝泊まりしているということでした。

6月も21日となればちょうど「夏至」で一年でもっとも日が長く、日本で特に東に位置する北海道は最東端の根室を始め稚内も朝4時前から明るくなりました。
写真を撮るに申し分ない明るさになったので、先の「日本最北端の線路」ほか稚内駅の正面を撮りました。4時半になると駅の改札が開き、ホームに入れるようになったので
「日本最北端の駅」
の看板を撮りまくりました。始発の名寄行き普通列車がホームに入っていて、車内に荷物を置いて列車を撮ったり、自販機で飲み物を確保し、残りわずかな稚内での時間を堪能して、5時20分、5時間だけ過ごした稚内を後にして、再び南下しました。
  1. 2017/08/11(金) 19:42:49|
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(番外編)初めての稚内③

名寄に着く少し前ですが、車窓右手の、廃止されたJR名寄本線(名寄~興部~紋別~中湧別~遠軽)の線路跡に、かつて名寄本線や宗谷本線で冬の除雪作業に活躍した
「キマロキ」
という列車が展示されているのが見えました。線路跡の周辺は「北国博物館」として、公園や列車の資料が展示されています。
「キマロキ」というのは
キ=機関車(ここでは9600形蒸気機関車)
マ=マックレー車。羽を両脇に広げて雪をかき集め、線路上にまとめて置く鉄道の除雪車両。
ロ=ロータリー車。前面の回転式の羽を回転させて雪をかき集め、排雪口から遠くに飛ばす除雪車両。
キ=機関車(ここではD51形蒸気機関車)
の順番で編成された除雪列車のことで、冬の北海道では線路に雪が高く積もることが度々で、一般の列車が立ち往生しがちだったので、少しでも運行できるように、こういう除雪列車が運転されました。
「キマロキ」となっていますが、実際には最後の「キ」の後ろに、除雪作業員を乗せるために、普段は貨物列車に連結されて車掌が乗る「車掌車」が連結されています。

本題で、初めて名寄に着いたときは、外は薄暗くなっていました。改札に入ったときは「みどりの窓口」がちょうど19時で閉まったばかりで、僕たちが入ったのを最後に以後は駅員不在になりました。北海道に限らず全国の地方駅には、いわゆる合理化で、駅員配置が例えば7~19時というように、利用客が多い時間帯に限って駅員を配置するところが多くなりましたが、昔はどの駅員配置駅も、始発から終着まで駅員がいたものでした。

駅前の商店街は、多くが空き店舗で、店があっても19時で閉店ばかりで、後は全国チェーンのコンビニで買い物するしかなく、名寄らしい店を味わうに味わえませんでした。親戚や顔見知りも誰一人いず、寂しいところでしたが、それでも、列車の待ち時間に、かねがね知っていた名寄名物の「煮込みジンギスカン」を食べに、良さそうな居酒屋を探しました。
最初に見つけた飲み屋さんには煮込みジンギスカンはなく、路地に入った店を教えてもらい、ようやくその店で熱々の鉄板で焼かれた、煮込みジンギスカンにありつきました。
ジンギスカンは通常は専用のジンギスカン鍋や鉄板、網で焼きますが、この煮込みジンギスカンは、肉を、漬け込んだタレごと鍋で、玉ねぎや白菜等の野菜やうどんと一緒に煮込むもので、いわゆる「B級グルメ」として「知る人ぞ知る」地域の名物料理の一つとなっています。
噂にたがわず料理は肉を漬け込んだタレが野菜やうどんによく染みて、ご飯やお酒が進むのもうなずけました。チューハイと日本酒を同時に注文しましたが、その日名寄に宿を取っていれば、もっと料理を堪能したいほどでした。
居酒屋を出、駅前を歩き回ると、昔の木造建築があちこちに残っていて、故郷の北見さながらでした。

駅員不在になった名寄駅に戻ると、駅舎左側の待合室は僕を含めて3人だけで、だだっ広い中に明かりがこうこうと付いて、テレビが一人でしゃべっているかのように音声を発していました。ベンチには地元名寄の高校生が作ってくれた座布団が一席残らず置かれ、利用客への気遣いが伝わりました。
木造駅舎、駅舎入口真上の時計、駅舎内左側の待合室、右側のみどりの窓口……どこかに似ていると思ったら、故郷の北見駅の昔の駅舎によく似ていました。
駅舎外左側にコンテナホーム、駅裏に車両基地があるところも北見駅と同じで、昔の北見にタイムスリップしたような気分でした。

21時03分に下り最終の特急「サロベツ3号」に乗り、その後は途中駅の美深や音威子府等を見たいと思いつつ、夜行バスでの疲れもあって席を倒して熟睡し、本来23時47分のところが列車が途中遅れたようで、日付変わって0時過ぎに、念願の日本最北端の駅・稚内に初めて着きました。
稚内も名寄同様、夜間は駅員不在で、無人の改札を抜けて駅正面に出ました。話には聞いていましたが、稚内駅は2012年にリニューアルされ、道の駅とバスターミナル、そしてみなとオアシスを兼ねていて、空以外の稚内の交通の玄関が集約されていました。
  1. 2017/08/04(金) 17:02:48|
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