trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

岩見沢の伯母宅へ①

札幌での本格的な学校生活が始まって1週間になる12月10日の土曜日、家族4人して岩見沢の父方の伯母夫婦のところに行きました。北見時代の2歳のときに父と一緒に本別時代の伯母宅に行きましたが、その年岩見沢に移り、僕たちも札幌に移って互いに近くなったので、お邪魔することにしました。
数日前に音楽のペーパー試験があって土曜日にその答案が返って来て恥ずかしい点数で、父に注意されましたが、その後そんな苦いことも互いに忘れて、札幌駅に向かい、14時半くらい発の岩見沢行きディーゼルカーに乗りました。
土曜日ということもあってか、車内は満員で立ち客が大勢いました。母がキオスクで当時発売され始めて人気だったアメリカ発の棒付き球状キャンディ「チュッパチャプス」を買ってくれて、妹と車内で食べました。その棒が管状になっていて、それをストローにして同じくキオスクで買ってくれたヤクルトを飲むと、母と妹が
「頭いい!」
と驚きました。ちょうど野幌か幌向辺りで上りの普通電車とすれ違いましたが、北海道で唯一の一般型電車で、帰りはその電車で帰れたらと思いました。
岩見沢駅に着き、路線バスでようやく伯母宅に着きました。伯母宅は国道12号線沿いの電電公社の官舎で、木造モルタル平屋建てでした。
伯母夫婦は本別の後、名寄に移り、それから岩見沢に移りましたが、本別時代に息子さん(従兄)2人が北見工業高校に入り北見の祖父母のところに下宿して通学し、その間に伯母夫婦が名寄に転勤、その後従兄が高校卒業して共に電電公社に入り、兄弟して名寄勤務になって再び家族して暮らし、今度は伯父の岩見沢転勤で再び従兄たちと離れました。
名寄時代の伯母のところには僕も妹も両親も一度も行きませんでしたが、僕の北見時代に従兄たちの様子見を兼ねて祖父母宅に時々夫婦して来ていましたし、前年の一番下の叔母の結婚式のときにも再会しました。
本別以来7年振りに伯母宅にお邪魔すると、両親たちと北見時代の話で盛り上がり、ビールが入って盛り上がりに拍車がかかりました。伯父とは本別にお邪魔した話でも盛り上がり、その本別時代に従兄のために買った童話の本の中から「ピノキオ」をいただき、ずっと読んできたことを話すと、伯父が「ピノキオ」の、本に書いてないことまで詳しく話してくれました。北見や本別の話で盛り上がり、その楽しさを胸に、床に就きました。
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  1. 2017/03/10(金) 21:13:33|
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コメント

 今日は外部からアクセスしております。

 リオ様、岩見沢駅は当時、大規模な敷地を持ち、多くの車両で賑わっていたようですね。現在も車両基地? か工場の跡地が雑草に覆われて、
広い敷地になっております。駅前もすっかり再開発され、道幅も拡大され、当時の昭和のアーケード街も過去のものとなりました。
当時は釧路も、国鉄や電電公社関係の人達が多かったですね。岩見沢も同じだったのでしょう。炭鉱関係の人も多かったのも、釧路と共通ですね。
  1. 2017/03/15(水) 22:09:38 |
  2. URL |
  3. 釧路探訪記管理人 #-
  4. [ 編集 ]

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釧路探訪記管理人様、当時の岩見沢駅は駅構内に蒸気機関車全盛期を思わせる機関区や側線群がそびえ、駅南部には操車場や電気機関車の車庫があり、にぎやかで列車で通過する度目を見張りました。2000年に漏電で駅が全焼して今のに建て替えられましたが、駅前が再開発され、道幅も拡大され、当時の昭和のアーケードが撤去されたとは。
釧路もかつては国鉄や電電公社関係の人達が多かったですよね。同級生にもお父さんが国鉄や電電公社の人がいましたし。岩見沢も同じだったと思います。何せ函館本線・室蘭本線・幌内線・万字線が接続する鉄道城下町でしたし。その幌内や万字、夕張からの石炭の集散地だけに、炭鉱関係の人も多かったのでしょう。その辺は釧路と共通ですね。
  1. 2017/03/16(木) 01:35:39 |
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  3. trainrio #-
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