trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

釧路での鉄道の思い出④

2度目の帯広から帰り、月が変わって8月になり、夏休みも終盤に近付く10日を過ぎたころ、今度は父の会社のお盆休みに合わせて、家族4人で北見に行きました。
前年暮れと同様に釧網本線に乗りましたが、今度は釧路発17時15分の北見行き急行「しれとこ3号」に乗りました。「しれとこ」は当時は釧路~北見間に1往復、釧路→網走間に上り1本、釧路~根室標津(現在は廃止)間に2往復していて、当時は釧網本線を代表する列車でした。
夕方出て夜に着くダイヤなので途中外は暗闇で何も見えませんでしたが、会話をしたりジュースを飲んだりしました。そして網走を過ぎたころに暑かったのもあって窓を開けると、街灯や月明かりで線路端の草むらや電柱等が見えました。電柱は街の通常の電信柱もさることながら、当時は北見~網走間の線路沿いに鉄道の通信用の電線が張られていて、それを支えるための電柱も見えましたが、今のように1本のケーブルにまとめるのでなく複数の細い電線がバラバラだったので、電柱で支える際に碍子(がいし)を桟木に取り付けてそれで支えていました。その鉄道の通信用の電柱はその姿形から「蝿叩き」と呼ばれ、今では地方のローカル私鉄にごくわずかに残るのみで、大概は鉄道模型で見るしかなくなりました。
終点北見に21時25分に着くと、まず母の実家に泊まりました。親戚たちと釧路であったこと、特に僕が小学校で給食を残して問題になったことが出、みんなで笑いました。
翌日、今度は父の実家に行きましたが、このとき実家や隣の以前僕が住んでた家の区域が区画整理をしていて、実家は坂道を少し下ったところの木造アパートに仮住まいしていました。木造アパートのそばの細道は僕が保育園のころ今は暗渠になった農業用水路沿いの公園に行くときよく通った道でした。またそのアパートの近くは郵便局や国鉄の木造の官舎や銭湯、サービスストア、父の母校の小中学校ほか、後年知りましたがタレント・沢田亜矢子さんの実家もありました。
仮住まいのアパートで狭かったので今回は父の実家には泊まらずその日も母の実家に泊まり、翌3日目は今度は網走の父方の祖母の年の離れた姉弟宅に行きました。網走の大伯母大叔父宅は北見時代に何度か行きましたが当時は僕はどういうわけかその親戚宅が嫌で、泣いたり早く帰りたくなったりしたものでしたが、今回はそんなことはありませんでした。
ちょうどお祭りがあったようで、市役所近くの商店街には夜店が並んでいて、綿飴を買ったり両親や大叔父は名物の茹で毛ガニを食べたりして、僕としては網走を初めて楽しめました。
一晩泊まり、翌4日目に旭川から来た網走発12時半ごろの急行「大雪1号」で釧路に帰りました。釧路に15時17分に着くダイヤで道中ずっと明るい中を走り、途中弟子屈に停車したとき、父がホームに降りてジュースの空き缶に水を入れてきてくれました。
スポンサーサイト
  1. 2015/05/09(土) 22:03:05|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<釧路での鉄道の思い出⑤ | ホーム | 釧路での鉄道の思い出③>>

コメント

なるほど、、、

 リオ様、前回の急行グリーン車の情報、ありがとうございます。グリーン車には車販準備室があったのですね。そういえば、当時の急行しれとこ、根室標津方面で分割併合していたことが、当時の時刻表の記憶にあります。
急行大雪が釧路まで来ていたんなて、面白いですね。グリーン車は後に冷房化されましたが、普通車は最後まで
非冷房でしたね。夏の北見方面の暑さはとてもこたえたのでは?
  1. 2015/05/16(土) 14:54:28 |
  2. URL |
  3. hagejs #-
  4. [ 編集 ]

Re: なるほど、、、

hagejs様、そう、グリーン車には車販準備室があったんですよね。
「大雪」が札幌や旭川から北見・網走経由で釧路まで運転など、効率優先の今では想像できません。
急行はグリーン車の冷房化は早かったけど、普通車は最後まで扇風機だけでしたか。確かに北見方面は夏は暑かったので夜でも窓を開けていました。ただ夜だと蛾が入ってくることもあって、そのときは閉めて通気孔に頼りました。
  1. 2015/05/16(土) 21:17:10 |
  2. URL |
  3. trainrio #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://trainrio.blog.fc2.com/tb.php/18-9d7aed7c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)