trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

釧路での鉄道の思い出⑨

夏休みに入る前の6月に小学校で「全校遊び」なる行事があり、児童全員で列になって「ジェンカ」を踊りましたが、周囲の動きを見たもののどうもなじめず、翌月7月24日の終業式後に釧路川沿いの河畔公園で親子参加のクラスの「おたのしみ会」の最後でも「ジェンカ」を踊ったものの楽しめなくて内心いらいらしました。

札幌に連れて行ってもらえると勝手に期待を膨らませて、夏休みに入りましたが、母から
「札幌は暑いし、汽車も混む」
と言われて泣く泣く断念せざるを得ず、8月に入り故郷の北見に行きました。札幌への期待を膨らませた一方で「ジェンカ」のときに激しくいらいらしたので、何か嫌な予感がしましたが、まさにその札幌行きの断念を感じていたようでした。
釧路発12時30分の網走行き急行「しれとこ2号」に乗り、終点の網走で北見行き普通列車に乗り換えるという、これまで釧路から乗り換え無しの直通で行くのとは違うパターンでした。釧路の次の東釧路駅ですれ違いのための停車をしたとき、向かいのホームにDE10の引く貨物列車が止まっていて、機関車に続いて車掌車、無蓋車、白い冷蔵車そして一般の有蓋車もろもろが連なっていました。重連でなく単機だったので、おそらく根室からの列車だったでしょう。
北見では母の実家と父の実家に交互に泊まり、父の実家では、一番下の叔母の、当時4歳の息子さんが当時の北見パークランドという遊園地近くの保育園に通っていて、祖母と一緒に送り迎えをしました。
母の実家ではいつも通りにテレビを見たり何なりして過ごしましたが、表立って顔や口に出さなかったものの、わがままを承知で札幌を断念せざるを得なかった悔しさは消せず、夏休みが明けて2学期が始まったばかりの国語の時間に夏休みのことを全員で作文に書いたときは、先の悔しさで文章が支離滅裂になり
「もっと文を書く稽古をしましょう」
と先生に書かれたほどでした。2学期になってすぐに、作文を書くのが毎日の宿題になり、作文が苦手な僕は苦痛でした。
一方、クラスの女子で札幌に行った子がいて、毎夏恒例の子ども博に行ったことを実に楽しく書いて学級通信に作文が載せられたのを見て、うらやましさが一層募りました。

札幌への思いが強かっただけに、今回の北見行きは東釧路駅で貨物列車が見られたのと網走駅で乗り換えたほかはどういう列車が見られたとかいう記憶がなく、母の実家で従兄たちと近くに遊びに行ったことさえ記憶にはあっても楽しいと思えませんでした。
それでも図書館バスで今や大人気となるとは思わなかった「きかんしゃトーマス」の絵本やかこさとし先生作の「だるまちゃんとかみなりちゃん」を借りて読んだり、学校の夏のプール学習でしか行ったことがなかった鳥取神社隣のマンモスプールに連れて行ってもらい、それまでできなかった水潜りが自然にできて、母も先生もびっくりましたが、僕自身も驚くと共に自信になり、2年の夏休みの思わぬ「収穫」でした。
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  1. 2015/06/07(日) 22:45:40|
  2. 鉄道
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コメント

今は

 リオ様、苦手な作文も現在はお手の物ですね。
自身も札幌に憧れましたが、初めて行けたのは14歳の時ですね。
友人達は小学生時代に洞爺サンパレス等に遊びに行けたのですが、、、
そんな街にでの生活の方が長くなり、かえって釧路が愛おしくなりました。
  1. 2015/06/14(日) 20:34:01 |
  2. URL |
  3. hagejs #-
  4. [ 編集 ]

Re: 今は

hagejs様、作文も長く飽きずに書けるようになっただけで広く読んでいただくに堪えるかどうか。
札幌に初めて行けたのが14歳の時ということですが、僕はそのときはもう道外でした。
友人たちその他が自分の行きたい場所に行ってうらやましいと思っても、自分がいざそういう場所に行ったり住んだりすると、かえって故郷がいとおしくなりますよね。
  1. 2015/06/14(日) 22:45:10 |
  2. URL |
  3. trainrio #-
  4. [ 編集 ]

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