trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

特別感のあった新年

釧路での生活も丸2年を過ぎ、年が明けて3年目の77年に突入しました。
正月というと、毎年ワクワクする方が大半でしょうが、僕には77年の正月はそのワクワク感が73年と同様にとても強く、何かいいことがありそうな気がしました。
三が日に初詣や父の会社の人たちが遊びに来て、その三が日が終わると冬休みの宿題のドリルや工作、2学期以降の宿題の毎日の作文を仕上げる日々が続きました。
そして釧路時代は冬休みの時期は必ず北見に行くのが恒例でしたが、例に漏れずこの年も行くことになり、1月16日の日曜日の17時15分発の北見行き急行「しれとこ3号」で北見に向かいました。
季節が季節でこの時間帯は暗い中を走り、車窓も明かりがなければ白い雪以外は何もわからない状態でしたが、例によって標茶、弟子屈、斜里、網走といつものように停車して、21時25分、北見に着きました。階段を昇って出札口に向かうと、降りたホームの向かいのホームから茶色い客車の普通列車が汽笛を鳴らして網走方面に向かいましたが、後年その普通列車の始発と終点を知り、えらく憧れました。
母の実家に着いてすぐに寝て、翌17日は冬休み中の下の従兄の小学校のグランドのスケートリンクで慣れないスケートを楽しみ、終わると実家に戻り大好きなそり遊びをして、夕食の後当時は実家にお風呂が無かったので、近くの銭湯に入りました。
北見も当時は風呂のない家がまだ多く、僕の北見の生家も風呂がなくて隣の祖父母宅のお風呂か近くの銭湯まで行っていました。市内の銭湯もいろいろでしたが、生家近くの銭湯はシンプルに普通の浴槽と脱衣所だけだったのが母の実家近くのは浴槽が普通のと白い薬湯の2つがあり、浴場の男女の仕切りに水槽があって鯉や金魚が泳いでいたので、僕としては母の実家近くの方が好きでした。
また、北見時代母の実家に行ったとき、たまに母方の伯父の車で郊外の銭湯に行きましたが、後年その銭湯は北海道で名が知れた入浴剤製造会社が運営していたことを知りました。

最終日の18日、旭川から来た11時05分ごろ発の急行「大雪1号」に乗り、「日本昔ばなし」の4冊セットの本を車内で読み、標茶を過ぎて一面の銀世界の中で2羽の丹頂鶴のつがいが仲睦まじくひょいひょいと舞っていたのにえらく感動して、15時17分、釧路に戻りました。翌々日に始業式を控えていましたが、まだ冬休みが続くような感覚でした。
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  1. 2015/08/22(土) 21:43:03|
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コメント

銭湯

 リオ様、自身の入江町アパートも風呂は無く、銭湯が定番でした。家風呂が普及したのは、70年代後期以降でしょうね。
21時過ぎの北見駅のホーム、とても寒そうですね。キハ56系で釧網本線を一度も乗車したことのない自身には、とても羨ましく思います。車内販売もあったのでしょうか?

 北見といえば、最近まで、大きな健康ランドのような建物が市内にあったような? 国道沿いに。 もう現存しませんが。
  1. 2015/08/24(月) 10:54:48 |
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  3. hagejs #-
  4. [ 編集 ]

Re: 銭湯

hagejs様、ご自身の入江町時代のアパートも風呂無しだったんですね。家風呂が普及したのはおそらく70年代後期以降でしょう。
冬の21時過ぎの北見駅のホームは寒いなんてものではありませんでした。車内販売は釧網本線内はなく、石北本線や根室本線のような主要路線のみでした。

そうです、北見市内には国道5号線沿いに「高玉温泉」という大きな健康ランドがありました。5年前に北見を訪れた際、母の今の実家から徒歩圏内でしたが、閉館して取り壊されたそうです。
  1. 2015/08/24(月) 14:20:46 |
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  3. trainrio #-
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