trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

半年振りの北見

妹が入学し僕自身も入学以来初めて楽しめた運動会の翌週の6月11日の土曜日、下校して午後3時に柔道に通い、帰宅して夜6時に家族4人して父の会社のライトバンで1月以来約半年振りに北見の父の実家に行きました。今回は父の実家のみで母の実家には行きませんでした。
4月からスタートしたNHK土曜夕方6時からの坂本九さん司会の子供向け物知り番組「こども面白館」をオープニングまで見て消して、車で自宅を出、暗闇な中国道244号線を走り、阿寒湖を過ぎ峠を越えて国鉄相生線北見相生駅の駅舎と列車の明かりを見て、夜9時ごろに着きました。父方の一番下の叔母のまだ5歳の息子さんがいて、それまで土曜夜7時半から放送されていた「秘密戦隊ゴレンジャー」に代わり4月から同時間に放送開始した「ジャッカー電撃隊」のエンディングをしきりに口ずさんでいました。
時間が時間だけにすぐお風呂に入り、それから寝て翌朝ご飯を食べ、昼過ぎまで全員してくつろいだり話をしました。
当時祖父は僕が生まれたころから国鉄を定年退職して北見駅近くの日清製粉の工場で夜間の守衛のアルバイトをしていて、昼間は寝ていたので、祖母と話をしました。両親から聞いていたようで、祖母は僕に縫物をしながら
「へえ、柔道やっているんだ」
と、気乗りせずに通っていたこちらの気も知らずに驚きほめていました。
昼食を食べてライトバンで北見を出、いつもの経路で津別までの道道で当時の国鉄池北線の跨線橋を越え、津別からは国鉄相生線に沿って国道を釧路に向けて南下しました。当時人気の岩崎宏美・桜田淳子・ピンクレディーの曲が入ったテープを車内でかけていると、車窓左手に相生線の、当時屋根と下部が朱色で窓の部分がクリーム色の塗装だったディーゼルカーが並走していました。
いつもならそのまま通り過ぎるところを今回は父にお願いして北見相生駅前に寄ってもらいました。駅舎は国鉄の典型的な地方駅らしく、木造モルタルの白い壁に赤い屋根の平屋建てで、入口真上の
「北見相生駅」
の駅名看板は、木の板に筆書きで、都会で主流の白地に黒文字のプラスチックの駅名看板と違いぬくもりが伝わってきました。

北見相生駅から峠を経て阿寒湖を過ぎ、阿寒町の市街に近付くと
「炭鉱と鉄道館」
という、度々看板を目にしながら気にも留めなかった資料館が気になったので、こちらもお願いして寄ってもらいました。
3年になり、副教材「くしろ」やサイクリングロードでかつての雄別炭鉱と雄別鉄道のことを知りたくなったがゆえですが、入館すると案の定、当時の雄別鉄道の路線図や切符、白黒写真等がずらりと展示されていて、鉄道好きの僕の興味を引くには十二分過ぎるくらいでした。
館内には国鉄から払い下げられた当鉄道の蒸気機関車・C11型が展示されていて、実物大の機関車をじっと見たりなで回しました。展示の写真にはそのC11が引く石炭列車がカーブを曲がるシーンもあり、その年NHKの月~金曜夜9時40分から放送されていた、夏目漱石原作の銀河テレビ小説「坊っちゃん」のオープニングで流れていた小型蒸気機関車の引く「坊っちゃん列車」の走る場面と劇伴がよみがえりました。
入場券には釧路から阿寒を経て雄別までの路線図が描かれていて、4月末のサイクリングで見た雄鉄昭和駅の駅名票にもあった、自宅や小学校や父の会社の最寄り駅の中園駅も載っていて、改めて自宅そばに鉄道が通っていたうれしさと今も通っていたらぜひ乗って街に行きたかった悔悟の念とが微妙に交錯しましたが、釧路市内の臨港鉄道に加え、廃止された雄別鉄道のことを知ることができ、僕の釧路での「鉄ちゃん魂」が、輝きを増そうとしていました。

今回の車での北見は、帰りに北見相生駅と「炭鉱と鉄道館」に寄ることができ、この喜びはその後思わぬ方向に増幅します。
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  1. 2015/12/19(土) 02:17:46|
  2. 鉄道
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コメント

資料館

 リオ様、阿寒町にあった、(今もある?)資料館に中学時代に初めて自転車で阿寒町に行った時に
入りました。炭鉱構内で、ススだらけになりながら、弁当を食べる坑夫の白黒写真が今でも印象に残っております。ブログ再開、もう少しお待ち下さいね。
  1. 2015/12/23(水) 18:26:35 |
  2. URL |
  3. hagejs #-
  4. [ 編集 ]

Re: 資料館

hagejs様、資料館は当時は旧阿寒駅跡あったのが、今は地区内の自然休養村内に移りました。
あのサイクリングロードで阿寒町そして資料館に行くのは、まさに当時の雄別鉄道の歴史をたどることですね。
坑内でススだらけになりながら、弁当を食べる坑夫の白黒写真は覚えていませんが、先の蒸気機関車が引く石炭列車ほか、国鉄のキハ55タイプのディーゼルカーの前面に
「さよなら雄別鉄道」
と書かれたヘッドマークが掲げられていた写真と、廃線後レールがはがされ廃屋と化した木造モルタル駅舎の写真も覚えています。
  1. 2015/12/23(水) 20:25:19 |
  2. URL |
  3. trainrio #-
  4. [ 編集 ]

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