trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

列車での初遠出④

楽しかった札幌もいよいよ4日目の最終日を迎えました。
伯父一家と僕たち一家で札幌の街に繰り出し、恐らく五番館だったと思いますが、大通公園近くのデパートに入りました。
おもちゃ売り場にも寄りまして、プラレールのコーナーを見ると、昨年のクリスマスに買ってもらった蒸気機関車D51の客車急行セットに加えて、ディーゼル機関車DD51の材木列車セットが売られていまして、母に欲しいとせがみ、買ってもらいました。父の「またか」と言いたそうな表情をよそに、僕は大満足でした。
デパートを出て大通公園を歩き、歩道橋を渡ると、エレベーターが中で上下する、大きな電光時計のある大きな赤い塔が目に飛び込んで来まして、図鑑で見た東京タワーに似ていたので
「あっ、東京タワーだ!」
と声を上げると、母が
「兄ちゃん、それテレビ塔だよ」
とみんなして笑いました。今や札幌大通公園の名物たる札幌テレビ塔も、僕の目にはまさに東京タワーさながらでした。

大通公園から10分くらい歩いて札幌駅に着き、改札を抜けてすぐ前の1番ホームに出ると、赤い電気機関車の引く貨物列車が小樽方面に向かって走って行きました。電機の引く貨物を見るのは2度目でしたが、今度は機関車の次位に空荷の屋根無しの貨車が3~4両続き、それから箱型の貨車とタンク型の貨車が何両かずつという編成で、機関車の次位がここでも箱型貨車でなくそれ以外ので、今度は屋根無しのが数両でそれから箱型のとタンク型というのが意外でした。跨線橋を渡り、旭川方面行きのホームに降りると、帰りに乗る網走行き特急「おおとり」が函館から入線し、僕たちは乗車しました。
16:00、伯父達に見送られて思い出と感動の多かった札幌を後にし、「おおとり」は一路網走に向かいました。行きはごく普通に急行列車に乗りましたが、帰りは少しぜいたくに特急列車で、座席も急行のボックスシートみたいに角張ったのでなく少し後ろに傾いてゆったりしていました。
岩見沢辺りで長い貨物列車が見えまして、最後尾の車掌車からタンク型貨車や屋根無し貨車、黒い箱型貨車が続いてそれから薄い赤茶色の箱型貨車が数両来て先頭が赤い電気機関車だったのでまたうれしくなりました。電機の引く客車や貨物列車が合わせて5本見られ、まさに「大収穫」でした。
旭川を過ぎると外は暗くなりちょうど夕食の時間だったので、僕は父と一緒に食堂車に行きました。生まれて初めての食堂車で、父はビールを、僕はリボンオレンジを注文して飲みましたが、食堂車で夜の車窓を眺めながらのリボンオレンジの味は、北見の街の食堂等で昼間に飲むのとはまた違った味で格別でした。父と僕が席に戻ると今度は母と妹と祖父母が食堂車に行きましたが、席に戻る途中に冷水機があり、備え付けの紙コップで飲んだ冷たい水は、急行列車や普通列車では味わえないだけにこれも格別でした。
食事を終えて全員席に戻ると、両親も妹も祖父母も疲れて寝てしまいましたが、僕は電車や電気機関車が見られたうれしさでずっと起きていました。車内放送でみんな目が覚めて、21:00、ようやく北見駅に着きました。
重い荷物を抱えてタクシーに乗り、駅近くの踏切に差し掛かると、ちょうど遮断機が下りていて、蒸気機関車の引く長い貨物列車が旭川方面に向かって走って行きました。僕にとっては北見を出て帰って来るまでとにかく汽車尽くめで、疲れているみんなをよそに興奮の連続でした。
帰宅するとさすがの僕も床に就きましたが、この初めての札幌が、その後の僕の人生に影響を与えることになります。
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  1. 2015/03/25(水) 15:40:34|
  2. 鉄道
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  4. | コメント:4
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コメント

 当時の道央圏はは電気機関車の貨物が頻繁に走っていたのですね。こちらは釧路なので、ディーゼル機関車のみでしたから。電気の引く貨物列車は自身が来た、90年にはもうありませんでした。客車のみですね。キハ80系の食堂車の経験があおりですね。こちらは北斗星、トワイライトのしか利用したことがありません。シンプルな80系食堂車、食べてみたかったですね。冷水機、キハ183にもあったのですが、使ったことがなかったですね。五番館も入った事がなく、自身が札幌に来た時はもう西武になっていました。それももう、過去のものとなりましたが、、、
  1. 2015/03/25(水) 21:28:01 |
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  3. hagejs #-
  4. [ 編集 ]

毎度ありがとうございます

hagejsさん、道央圏は昭和43年の函館本線小樽~滝川間電化から59年2月のダイヤ改正まで電機の引く客車や貨物列車が頻繁で見てて飽きませんでした。道内は87年の分割民営化後電機はすべてJR北海道の所属になり、貨物列車は架線下でもディーゼルけん引になりました。釧路時代に見たディーゼルけん引の貨物は、根室本線のDD51のもありましたが、むしろ釧網本線のDE10けん引の混合列車が多かった。
食堂車利用はキハ80系がほとんどで後は「北斗星」と東海道・山陽新幹線のが各一回ずつですが、トワイライトのを利用したことがあるとはうらやましい!冷水機、車内販売が廃止される「オホーツク」では貴重な設備になりますね。
五番館に入ったと書きましたが、もしかすると三越だったかも。五番館西武と旧金市舘のラルズが消えて、札幌の中心も少し寂しくなりましたね。

道内の電機けん引の客車列車、83年のGWに乗ったのを最後に翌年北海道を離れたのでもう乗ることはなかろうと思いきや、大学4年の夏休みの91年8月に授業のレポート作成で小樽に行った際に札幌に2度寄り、小樽のホテルに戻るときに狙うようにして電機けん引の赤い客車列車に乗りました。それから3年後の94年11月のダイヤ改正で、北海道の電機は青函トンネル用を除いて全廃されました。
  1. 2015/03/25(水) 22:03:53 |
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  3. trainrio #-
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なるほど。

 リオ様、民営化後は、所属が全てJR北海道になったからですね。ELの引く貨物を函館本線で見てみたかったですね。自身が利用した豪華食堂車は全て、元はサシ481、489からの改造で、純粋なキシの食堂車は三笠鉄道村にある、動かない食堂車だけです。(笑)ディーゼルエンジン音の上で食事をしてみたかったですね。食堂車では飲み物以外、何か召し上がったのでしょうか?
  1. 2015/03/26(木) 21:05:50 |
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  3. hagejs #-
  4. [ 編集 ]

Re: なるほど。

hagejs様、ほんとED76-500の引く旧客と黒色貨車中心の貨物列車は感動で圧巻でした。
特急電車改造とはいえ、客車の食堂車しか経験がないのもうらやましい。
初めての食堂車ではリボンオレンジだけでした。父もビールだけです。
三笠鉄道村の動かぬキシ80で食事されたのでしょうか。僕も小樽の当時の鉄道記念館の動かぬキシ80で昼食を取りました。

追い追い、食堂車の経験談も書いていきます。
  1. 2015/03/26(木) 21:52:01 |
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  3. trainrio #-
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