trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

夏休みの北見でのリベンジ②

翌9月15日は敬老の日で、学校が休みだったので僕と妹には前日の早退はやむを得なかったものの、北見に行くのは好都合でした。
ちょうどこの日は実家に近い北見神社のお祭りで、神社から駅方面に延びる道路には露店がずらりと並ぶので、列車に乗るまでの間、妹と母と祖母との4人で露店を歩きました。伯母たち4人は仕事だったか私用で一緒に行けませんでした。
実家から歩いて露店に着くと、例に漏れずたくさんの人だかりでした。イカ焼きやらフレンチドッグやら金魚すくいやらおなじみの露店が並ぶ中で
「チョ~コチョコチョコチョコバナナはいかがですか~!」
という掛け声が聞こえたので振り向くと
「チョコバナナ」
と書かれた看板を掛けた露店があり、母に言って1本買ってもらいました。割り箸に刺したバナナにチョコレートをコーティングしたお菓子でしたが、全く初めてのお祭りの味にうれしくなりました。チョコレートとバナナがこんなに相性がいいとは思いませんでした。
ほかにも射的やらおもちゃ屋さんやら並ぶ中で、くじ引きの露店があり、僕と妹でそれぞれ引くと、共にタバコのパイプを模したパイプの先に小さな漏斗状のカゴを付けてそのカゴに入れたボールを吹いて遊ぶものが当たりました。僕のはパイプが赤でカゴが青、ボールが黄色と三原色の組み合わせで気に入りました。
思えば北見神社のお祭りは3年前の北見時代最後の年にも家族全員と伯母たち一家全員して行き、そのときは電池で動く汽車のおもちゃを買ってもらえずぜんまいで動くのにしてと言われて譲らずとうとう買ってもらえなかった悔しい思い出がありましたが、3年振りの今回は先の青いカゴを付けた赤いパイプで黄色のボールを吹くおもちゃが当たったので、前回の屈辱が晴れました。
列車の時間も近付いたので駅に向かい、祖母の見送りで16時20分くらい発の急行「大雪2号」で北見を出ました。思えば「大雪2号」は3年前に父と2人で札幌に行った帰りに乗りましたが、このときが札幌→北見の乗車だったのが今回は残りの部分の北見→釧路の乗車になりました。当時の下り「大雪2号」は前年秋に父方の一番下の叔母の結婚式で北見に行ったときに乗った上り「大雪3号」とペアになる列車で、札幌~釧路間を旭川・北見・網走経由で結んでいて、同区間は普通富良野・帯広経由だろうによくそんな遠回りするものと驚きました。
車内で先のパイプでボールを吹いて遊びながら母と妹としゃべり、時間の過ぎるのも忘れていると、列車は網走の一つ前の呼人駅で止まり、網走から札幌に向かう特急「オホーツク」の通過を待ちました。北見駅で買った、解散を翌年に控えた当時のキャンディーズがCMをやっていた「森のどんぐり」というチョコレート菓子を食べながら、向かいの線路を通過する「オホーツク」を凝視しました。
通過後ようやく発車して、左手に北見時代何度か泳いだ網走湖を見、網走駅に着きました。行きは違うホームで気付きませんでしたが、帰りは改札前の1番ホームに止まりまして、網走駅がこれまでの木造ログハウス風から鉄筋コンクリートに建て替えられているのがわかりました。まだグリーンのシートが掛かっていて工事中でしたが、完成したら見たいと思いました。
網走を出て釧網線に入ると、当時は停留所扱いだった桂台駅、そしてその次の鱒浦駅を過ぎました。「ますうら」は釧路にも「益浦」の地名があっただけに、網走にも異字ながら同音の地名があったのに驚きました。
左手にオホーツク海を見、斜里を出たときは既に暗くなり、次の駅に差し掛かると、DE10形ディーゼル機関車が2両連結で石油積みのタンク車を引く長い貨物列車が見えました。当時はその駅が何と言うのか知りませんでしたが、後にその駅が中斜里駅で、そのタンク車が駅から専用線が延びていたホクレンの製糖工場に燃料の重油を運んでいたこと、ほかに砂糖の精製に不可欠な石灰石積みの貨車と製品の砂糖を積んだコンテナが出入りしていたのを知りました。
清里町駅や緑駅を過ぎて網走支庁と釧路支庁の境目の峠のトンネルを抜け、川湯を経て弟子屈に着くと、向かいの改札に接したホームにDE10が止まっていて、発車して機関車の次にとび色の箱形の貨車が1両と茶色の客車が2両の混合列車とわかり、客車には
「斜里行」
の行き先表示板が掛かっていました。釧路を17時30分に出る斜里行きの客車列車でしたが、時刻表で存在は知っていたものの実際に見たのは初めてで、しかも貨車をつないだ混合列車で一層目を引きました。
真っ暗闇になった中で標茶を過ぎ、東釧路に差し掛かると
「間もなく釧路です。乗り換えのご案内です。札幌行き急行『狩勝3号』は21時30分の連絡です」
の車内放送が流れ、ようやく釧路駅に着きました。
改札を出てタクシーで自宅に戻ると父が留守番をしていて、夕食を用意していました。僕たちの留守中に前年秋から飼っていたアメリカザリガニが4匹すべて死んだことを聞き、寂しくなりましたが、寂しさに浸る間もなく、お土産やら荷物を整理してすぐ夕食を取り、入浴して床に就いて翌日からの登校に備えました。

夏休みに札幌の帰りに寄り、そこで嫌なことが続き、前年の夏休みに札幌行きをあきらめて行ったことと相まって、すっかり嫌気がさしていた故郷北見ですが、今回改築が済んで再び実家に寝泊まりできるようになり、神社のお祭りも3年前と打って変わって楽しめたので、夏休みの北見でのリベンジを果たした気分になりました。同時に、釧路から北見まで一泊二日で往復するのも、小学校1年から数えて3回目になりましたが、列車で往復したのはこれが初めてでした。近距離だからこそできた技でした。
スポンサーサイト
  1. 2016/06/08(水) 13:02:18|
  2. 鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<教育実習生が来る | ホーム | 夏休みの北見でのリベンジ①>>

コメント

タフなキハ56系

 リオ様、9月半ばの北見はまだ暑く、祭りの時はまだ浴衣が着れたのでしょうか?
それにしても当時の急行大雪は凄い距離を走りますね。180馬力程度のエンジンで石北の峠や狩勝峠を連続して走るなんて
キハ82系特急列車も昔はオーバーヒートしたものだと、当時の国鉄マンに聞かされたことがありましたが、、、
今の振り子特急気動車並にハードに酷使されていたのですね。急行狩勝3号札幌行は寝台列車も連結されていた、旧型
客車だったでしょうか?
  1. 2016/06/14(火) 00:12:31 |
  2. URL |
  3. 釧路探訪記、管理人 #-
  4. [ 編集 ]

Re: タフなキハ56系

釧路探訪記、管理人様、9月半ばの北見はまだ暑いものの、浴衣では肌寒いです。
当時の急行大雪は180馬力程度のエンジンで北見峠や常紋トンネル、釧北峠をよく連続して走ったものです。
キハ82系特急列車も昔はオーバーヒートするくらいに、今の振り子特急気動車並にハードに酷使されていたのでしょうね。急行狩勝3号札幌行は寝台車も連結されていた旧型客車でした。
  1. 2016/06/14(火) 00:21:48 |
  2. URL |
  3. trainrio #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://trainrio.blog.fc2.com/tb.php/71-b0d80cde
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)