trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

その他もろもろ③

3年になって習字の授業だけ校長先生が教えたのが意外であり新鮮でしたが、その校長先生の前任校の、釧路市内で最も古い日進小学校で、6月中旬だったと思いますが火事があり、木造モルタルの校舎が全焼しました。月曜の真夜中12時過ぎに漏電か何かで火が上がり、その日の朝刊の一面に掲載されました。
朝の朝会でも校長先生から火事の話があり、教室に戻って担任の先生が、日進小学校の先生たちも書類が焼けて大変だったことを話していました。僕たちは鉄筋コンクリートの校舎でしたが、他人事とは思えませんでした。
帰宅して改めて朝刊の一面の火事の写真を見ていると、ちょうど夕方6時から再放送されていた少女アニメ「魔女っ子メグちゃん」で流れていた、どことなく物悲しいカルメン調のエンディングと相まって、その火事に一層胸を締め付けられそうになりました。

前に戻って、3年になったばかりの、まだ前のマンションに住んでいた4月の土曜の午後、妹が卒園したばかりの愛国幼稚園で、当時テレビ朝日の朝のワイドショー番組「モーニングショー」等での教育評論でおなじみだった、坂東義教先生が講演に来まして、事前に届いたビラで知っていたので、母と妹、ご近所さんたちとで見に行きました。
テレビであの独特の口調の講演を見てよく笑いましたが、生身のご本人はまさにテレビで見るそのままで、ずっと笑い通しでした。北海道在住だけに、一層親近感が湧く先生でした。
坂東先生はその年の参議院選挙に出馬し、公示のポスターでも顔を見ましたが、当選はなりませんでした。

5月に新しいマンションに移ってまだ間もないころ、母が買物で留守しましたが、たまたま鍵を置くのを忘れて家に入れず、ドアの外でずっと待つハメになりました。
学校前の横断歩道で「みどりのおばさん」をしていた、1年のときからの同級生の女子TNさんのおばさんが自転車でそばを通り過ぎたときに
「どうしたの?」
と聞いてきたので、鍵がなくて家に入れないことを話すと、そばにあった針金をドアノブの鍵穴に入れて開けようとしてくれましたが、開きませんでした。
途方に暮れましたが、同じマンションの向かいの棟に住む、妹と同期のABさんたちが、食べていたポテトチップスを分けてくれたので、それを食べて母の帰りを待ちました。
5時半ぐらいだったでしょうか、母が帰って来て、鍵がなくて入れなかったことを話すと
「ごめんね」
と謝って、鍵を開けて、ようやく家に入り、安心しました。

再び6月で、19日だったと思いますが日曜日、HBCテレビで朝10時から放送されていた「世界のこどもたち」という番組を見ました。
父の勤めていた乳業会社グループがスポンサーで、タイトル通り世界中のこどもたちの生活や活躍振りを、中村メイコさんのナレーションで紹介するものでしたが、この日はドイツの子供たちが鉄道模型に親しむ様子が放送されました。
模型で遊ぶのみならず、大人たちがその模型を造る作業を子供たちも喜々として手伝っていて、鉄道好きの僕まで見ていて楽しくなりました。その模型を段ボール箱に詰め、送り先を大きなスタンプで押すと、その赤い文字に
「JAPAN TOKYO」
と記されていて、日本に輸出されるのがわかり、胸にグッときました。
番組の最後に、その鉄道模型を抽選でプレゼントする旨が放送され、急いで宛先をメモし、ハガキを書いて、妹と一緒に愛国郵便局前のポストに出しに行きました。「どうか当たりますように」と願いをこめて投函しましたが、残念ながら当たりませんでした。

バス遠足や学芸会が終わって少し寂しい気がした10月の下旬、それまで全く転出転入がなかった我がクラスに転校生がやってきました。
MTさんという女子で、東京の八王子から来たということでした。東京都内から来たというだけでもびっくりでしたが、八王子というと、前年に父が買って来てくれた鉄道の図鑑に載っていた八王子機関区の写真で名前を知っていただけに、一層八王子の名前が印象に残りました。
班は別でしたが、彼女とちょこちょこ話し、水疱瘡で休んでからまだ顔にかさぶたが残った状態で再び登校して来たときは
「具合はどう?」
と安否を気遣いました。
スポンサーサイト
  1. 2016/10/02(日) 23:51:39|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<秋も深まり… | ホーム | 習字の時間>>

コメント

みどりのおばさん

 ご無沙汰しておりました。我が家のネット設備の不具合で、本日ようやく復旧しました。みどりのおばさん、自身が小学校時代はまだおりましたね。テレビの世界の子供達も懐かしいです。自身は日進小学校の火災は記憶に無く、聞いた話だけでしたが、旭小学校も昭和40年代初期に全焼していますね。鍵が無くて家に入れない経験はこの時代の子供なら、誰しも一度はありそうですね。今はどうなんでしょう? 景雲中学校に入るまで木造校舎を知らなかった自身ですが、冬になって、鉄筋コンクリートの集中暖房のありがたさを知ったものでした。
  1. 2016/10/19(水) 21:21:25 |
  2. URL |
  3. 釧路探訪記管理人 #-
  4. [ 編集 ]

Re: みどりのおばさん

釧路探訪記管理人様、ネット接続の不具合、やれやれでしたね。みどりのおばさん、管理人さんの小学校時代はまだいらしたのですね。「世界の子供たち」も見ていらしたのですか。日進小学校の火災は小学校入学前でさすがに記憶に無かったでしょうが、旭小学校が昭和40年代初期に全焼したとは。今はなきあの鉄筋コンクリートの校舎は全焼後に建てられたのですね。旭小は僕の釧路時代の先生の初任地でした。鍵が無くて家に入れない経験は僕の同級生にもいました。今はオートロック主流で激減したでしょうね。木造モルタル校舎は僕も後に経験することになります。
  1. 2016/10/19(水) 21:37:39 |
  2. URL |
  3. trainrio #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://trainrio.blog.fc2.com/tb.php/82-d05b3100
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)