trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

釧路での住まい最後の日

釧路での住まい最後の夜が明けた11月29日の火曜日、僕は妹と釧路での最後の登校をしました。
いつものように朝礼の後授業が始まりまして、この日は体育がなく6時間すべてが教室での授業で、午前中の30分休み後の3時間目から算数や国語等のドリルを各自で解くものだったこともあり、みんなしてドリルを解きながら、一方で僕のために先生や級友たちが折り鶴を折ってくれました。
偏食や運動オンチを責めていた人たちも別れを惜しんで鶴を折ってくれ、特にKC君がたくさん折ってくれたので、先生がKC君が僕を責めていた一人と知っていただけに
「trainrio君、KCが結構折ってくれたんだけどいい?」
と聞いたので
「いやいや、OK」
と言い、KC君にお礼を言いました。
給食を経て、5時間目まで授業がてらみんなが鶴を折ってくれ、先生がまとめて鶴に糸を通して折り鶴の束が完成して、最後の6時間目は通常の、先生の話と板書の授業で、シーンとなりました。
授業がすべて終わり、終礼が始まる直前に母が教室の扉に来て、自宅そばの文房具屋さんで買ってきた、クラスの人数分のノートの束を持ってきたので、それを受け取り、終礼が始まって、先生が僕が札幌に転校することをみんなに伝え、みんなの前で僕から日直のNZ君にお礼のノートの束を渡し、最後にみんなの前で
「どうかお元気で」
とあいさつをして、教室を後にしました。
教室を出る前に、折り鶴ほかKC君や11月初めに大楽毛から転校してきたTN君が、自身の持ち物のシャープペンシルをくれ、また10月に八王子から転校してきたMTさんも
「これあげるね」
と言って、当時グリコのお菓子のキャラクターだった、「キッシーズ」という女の子のキャラクターのソフビのマスコットをくれ、これまでの楽しい思い出が一気に浮かびました。
教室を出ると、今度は先生が
「これ先生からもね、元気で」
と、細長い袋に入った黒いシャープペンシルをくれました。
教室を出てすぐのロビー前の職員室前に母と妹がいて、母が妹の担任のYJ先生と僕の2年までの担任だったST先生にもあいさつをしたようで、最後に僕の最後の担任のST先生にもあいさつをして、帰宅しました。

帰宅すると、最後のあいさつに1年のときからずっと同じクラスだったTB君とYZ君が来ていて、最後の荷物整理をしながら3人してバカを言い合い、また1年からの思い出話を母も交えてしながら、残り少ない釧路での住まいのひとときを過ごし、最後に二人が車か飛行機のプラモデルをプレゼントしてくれました。
TB君は、1年の入学時から同じクラスで、そのころから友人の少ない僕のところに遊びに来てくれました。母も
「いい子だったよね」
と後年になっても評していたほどでした。一方、YZ君は、1年の2学期が始まって市内の清明小学校から転校してきて、僕と同じ区域内に住んでいて、僕の前のマンションで先生を交えての懇談会があったとき、お父さんがよく来ていました。
3年のクラス替えで別れ別れになるかと思いましたが、幸いにも3人してまた同じクラスになり、しかも最後の別れに3人して揃い、高揚感はマックスでした。
荷物の整理も済んで後は引越業者に任せ、二人に別れを告げて、僕は母と妹、祖母で半年住んだマンションを後にしました。

バスで釧路駅前の、当時の金市舘デパートの二軒左にあった、父から事前に知らされていた「乙女屋旅館」というホテルに、会社から直接来た父と合流し、チェックインしました。部屋は3つに分かれて、僕は父と、妹は母と、それぞれ一緒の部屋で、祖母だけが単独でした。
部屋で上着を脱ぎ手荷物を置き、しばらくテレビを見たりして、祖母と父はホテルに残り、僕と母と妹とで、駅地下のステーションデパートの食堂に行きました。
食堂で僕はこの年初めて食べてえらく好きになったカツカレーを注文し、母と妹もそれぞれメニューを注文し、母と妹のが先に来て食事にありつきました。
ちょうど時刻が18時55分ほどで、19時00分に小樽行きの寝台付き夜行普通列車「からまつ」が発車するので、1階の改札に上がって、スピーカーから、空洞内で鳴るようなくぐもった発車ベルの音声が流れ終わり、ディーゼル機関車の汽笛が鳴って列車がホームを出るのを見届けて、地下の食堂に戻ると、母が
「兄ちゃん、カレー来てるよ」
と言っていて、僕が戻る少し前にカツカレーがテーブルの上に出されていました。
母と妹は既に食べ終わっていたので、急いでカレーを掻き込み、19時20分ごろに食べ終えて旅館に戻りました。
部屋に戻ると、父がベッドに入っていて、テレビでNHKのニュースを見ていました。ニュースは19時半までで、その後HBCテレビで「ぴったしカンカン」が始まるので、父にお願いしてチャンネルを変えて見ました。
「ぴったしカンカン」は、小学校1年の75年10月から始まっていて、ほぼ毎週のように見ていました。北見時代に始まっていながら当時は見なかった同じ火曜日の19時00分からの日テレ系「スターアクション」と共に、釧路時代思い出のテレビ番組でしたが、釧路での最後の夜に本番組を見るとは思いもよらず、同時に釧路での日々が走馬灯のように浮かび流れました。
番組が終わると父がNHKに替え、僕も一緒になって見ました。
20時45分のニュースが終わるとテレビを消して父は寝ましたが、僕は部屋の窓から釧路駅の右横にかろうじて見えていた、1番ホームの夜行急行「狩勝3号」を、発車まで見ていました。
小学校に入ってから部屋の時刻表で列車の存在は知っていて、釧路を夜出て翌朝札幌に着くのも知っていましたが、ちょうど駅横に見えていた車両が寝台車で、夏休みに札幌から北見まで寝台車に乗ったことが思い出されました。
「狩勝3号」はまた、僕の小学校1・2年の同級生に乗った人がいて、バイオリンが特技のWT君が1年のGWに青森に行ったときに往復で、3年になって3組になったYM君も6月に僕より先に札幌に転校したときに乗った列車でした。後年、この列車がかつては「まりも」という列車名で、札幌から先函館まで往復していて、更には一時期釧路から先根室まで足を延ばし、函館~根室間を実にロングランしていて、驚きました。
後に札幌発着に短縮され、昼行部分の函館~札幌間が「ニセコ」となって、C62形蒸気機関車が2両連結で引いていた姿が人気だったことを知りました。
21時半になり、列車がホームを出るのを見届けて、僕もようやく、釧路での最後の床に就きました。悲喜こもごもありましたが、3年になり特に鉄道で楽しいことが続き、相乗効果でクラスや同期たちとも楽しく過ごせ、その思い出を胸に、すっかり眠りに入りました。
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  1. 2017/01/09(月) 20:42:27|
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コメント

最後の夜を

 リオ様、釧路最後の夜は駅前の旅館となりましたか。転校経験がない自身には、クラスとの最後の時間、別れ、贈り物、引っ越しの慌ただしさ、どれをとっても新鮮です。
鈍行からまつでも、夜行急行、狩勝でもない、札幌出発は、翌朝のキハ80系、おおぞらでしょうか? 子供心は勿論、親の世代となった我々世代。
一家の大黒柱の立場での転勤というプレッシャー、は相当なものでしょうね。いずれもこの歳まで未経験です。
乗り慣れた車窓が、今度は転勤となると、どのように目に写るのでしょうか?
自身のように、釧路から札幌に進学、就職で離れるのとは、全く違うのでしょうね。
  1. 2017/01/11(水) 15:21:09 |
  2. URL |
  3. 釧路探訪記、管理人 #-
  4. [ 編集 ]

Re: 最後の夜を

釧路探訪記管理人様、釧路最後の夜は駅前の今はなき旅館でした。その旅館と金市舘に挟まれて「釧正館」という旅館もありました。転校経験がないと、クラスとの最後の時間、別れ、贈り物、引っ越しの慌ただしさが新鮮に映るんですね。
父の、一家の大黒柱の立場での転勤というプレッシャーは当時は知る由もありませんでしたが、今思えば相当なものでしょう。僕も独身では転勤経験ありますが、家族の主としてはこの歳まで未経験です。
翌朝の列車と車窓の感じ方は次回に譲りますが、前回の北見から釧路への転勤では、それまでよく乗った北見~網走の風景が寂しく感じられ、その寂しさは網走から斜里にかけてのオホーツクの荒波と相まって一層強くなりましたが、釧路管内に入り、紅葉と初めて見た混合列車で少し和らぎました。混合列車が僕に
「よっ、ようこそ」
と声をかけていたかのようでした。
  1. 2017/01/11(水) 18:01:27 |
  2. URL |
  3. trainrio #-
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