trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

(祖母追悼) 祖母北見に帰る

北見時代そして北見に帰る度にあれこれ良くしていただいた母方の祖母が、本日午前、帰らぬ人となりました。昨年末に肺炎で緊急入院し、どうにか年を越して来月末の白寿を控えていた矢先だけに、言葉が見つかりません。
そういうわけで、順番を変更して、祖母が北見に帰ったときのことを先に書きます。

釧路に来て引っ越しを手伝い、札幌まで一緒に来てくれた母方の祖母が、荷物が片付き、父も僕も妹もそれぞれ新しい職場や学校に通い始めて落ち着いた12月4日の日曜日、北見に帰ることになりました。
昼過ぎに家族5人して新琴似小学校前のバス停から当時地下鉄南北線の北の終点だった北24条駅までバスに乗り、乗り継ぎ割引券を受け取って地下鉄でさっぽろ駅まで行き、国鉄札幌駅に出ました。
改札前で先に札幌に転勤していた帯広の伯母と合流し、駅地下や周辺の店で北見へのお土産を買い、食堂で昼食を食べたりしているうちに、15時半を回り、祖母の列車を待つべく改札前に並びました。
北の都というだけに、札幌駅の列車の発着本数は今まで住んでいた北見や釧路の比ではなく、改札前の1番線や向かいの2・3番線だけでも列車の発着が目まぐるしく、更に向こうの4~9番線は推して知るべしでした。当然人の量も多いだけに、父が僕に笑顔で
「札幌は広いから、はぐれたら家に帰れなくなるから気を付けてな」
と耳打ちしました。
改札真上の、発着時刻の近い列車を表示する反転式フラップ表示の時刻表を見ると、初めて札幌に行った帰りに乗った網走行き特急「おおとり」その他に交じって
「急行 宗谷 函館15:50 稚内15:55」
という表示を見て、函館と稚内を結ぶ「宗谷」という急行があるのを初めて知りました。列車は札幌に15時50分に着き、55分に出るダイヤでしたが、函館からは千歳経由でなく小樽経由で、しかも稚内方面へは釧路や網走方面と違ってまだ特急がなく、この「宗谷」が稚内方面へは最優等列車で、札幌のみならず函館で青函連絡船に接続して本州とも結んでいたのがわかりました。同時に列車名から3月にNHK「みんなのうた」で流れて僕も同月に釧路での学級お別れ会で歌ったダ・カーポの「宗谷岬」の歌詞が蘇り、更に列車が長万部~小樽間の山線の峠の数々を力強く越えて雄大な北海道の大自然の中を走りながら道内や本州からの客を日本最北の稚内まで運ぶ様子が目に浮かびました。
ふと我に返り、改札前の1番線を見ると、赤い電気機関車に引かれた茶色や青の客車鈍行が滑り込んできました。真上の時刻表を見ると、岩見沢から倶知安に向かう普通列車で、きっと小樽から先はディーゼル機関車に付け替えられるんだろうと興味津々で見ました。
再び我に返り、騒がしくなったので時刻表を見ると、祖母が乗る17時02分発網走行き急行「大雪4号」の時刻が迫り、改札が始まったので、祖母は乗車券と自由席急行券を、僕たち家族4人と伯母は入場券を持って改札を出て跨線橋を渡り6番線に降り、車内まで祖母の荷物を運びました。みんなして空いてる席に座り、向かいの5番線の列車が発車したのを見て、父が
「ほら発車したぞ!」
と、向かいの列車が発車したのがうちらの列車が発車したかのように見えたので、そういう冗談を飛ばして、みんなして笑いました。
列車は深川から留萌線と羽幌線を経由して幌延まで行く急行「はぼろ」と、旭川から宗谷線・名寄線で名寄・興部・紋別を経由して遠軽まで遠回りで行く急行「紋別」を併結しており、後にその上りバージョンが僕が初めて札幌に行ったときに乗った「大雪1号」と知りました。
時刻も迫ったので、僕たちと伯母は列車から降りて祖母を見送り、まだ発車しないうちに駅を出て地下鉄とバスで帰宅しました。

帰宅すると夕食を取りながら「サザエさん」を見、それからNHKの7時のニュースを見ました。父が勤め人らしく全国のニュースに真剣に目を光らせていたところで道内のニュースに移ると、祖母が乗った急行「大雪4号」が、滝川付近の踏切でトラックと衝突したニュースが流れ、家族みんなして
「ばあちゃん大丈夫か」
と心配しました。列車は大丈夫だったようですが、トラックが破損し、遅れは必至でした。
ニュースが終わり、当時三波伸介さんと中村メイコさんが主演していた「お笑いオンステージ」と萩本欽一さんが司会をしていた「オールスター家族対抗歌合戦」を見て、祖母の安否を気遣いながら9時に妹と共に寝ました。

翌5日の月曜日、学校から帰って母に祖母の安否を伺ったところ、案の定列車は大幅に遅れて、北見に着いたのが10時半のところが夜中の12時だったということでした。トラックとの衝突だけにどうなったことかと思いましたが、列車は破損がなく、祖母もケガ一つなく無事で、僕たちみんなして安心しました。

この場をお借りして、おばあちゃん、来月の白寿は迎えられなかったけど、何とか年を越して頑張ったね。僕が北見に住んでいたり、釧路や札幌のころも北見に行く度行く度伯母や従兄たちと一緒に良くしてもらって、思い出は尽きません。どうか安らかにお眠りください。そして遠い空から僕たちを見守ってください。合掌。
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  1. 2017/02/15(水) 19:48:25|
  2. 鉄道
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  4. | コメント:2
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コメント

お悔やみ申し上げます

 リオ様、可愛がってくれた祖母を亡くされたばかりなのですね。列車の思い出は、多くの家族、親族との思い出でもありますね。50才に近づく年齢になっても、子供の頃の優しかったお婆ちゃんの笑顔が蘇ってくるのではないでしょうか?
 当時の気動車は現代のものと比べて非力で性能も悪かったのですが、本当に働きものでしたね。
稚内から函館なんていう行程もあり、酷使されていたのですね。当時の急行は札幌から北見まで5時間半もかかっていたのですか。やはり石北峠の急勾配は、当時のエンジンでは辛いものがあったでしょう。もう、25年もこの区間を列車で越えていないので、どのくらいの急勾配か分かりませんが、現在の183系のオホーツクで約4時間半の所要時間ですね。石勝線にも長い勾配がありますが、現代のキハ283なら、難なく走ります。電車ならもっとは早いでしょうね、きっと。
 あ〜ぁ、走るキハ56.27にまた乗ってみたいなぁ〜 キハ183系の初期型にも、今のうちに乗っておかねば、、、
  1. 2017/02/20(月) 22:40:45 |
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  3. 函館不名誉市民 #-
  4. [ 編集 ]

Re: お悔やみ申し上げます

函館不名誉市民様、お悔やみの言葉ありがとうございます。父方の祖父母もですが、母方の祖母も、僕の鉄道好きの大層良き理解者でした。何よりその祖母自身が旅好きで、後に祖母から頂いて今も僕のみかん箱に入っていますが、昭和41年の全国鉄道路線図を持っていて、廃止された地方私鉄ほかルートが切り換えられた根室本線落合~新得間の旧線も載っていて、途中駅に「狩勝(信)」「新内」と載っていて、時代の流れを感じさせました。
確かに当時のキハ56系気動車は現代のものと比べて力は弱かったでしょうが、酷使されているかと思うくらい本当に働きものでしたね。稚内から函館という行程は驚きましたが、昭和39年10月に特急「おおとり」が登場する前には「大雪」として函館~網走間を走行していたと後年知り一層驚きました。そう、当時の急行は札幌から北見まで約5時間半もかかっていました。石北線上川~白滝間の北見峠と同じく生田原~西留辺蘂間の常紋峠は共にかつての落合~新得間と同じ25‰勾配で、キハ56系はもちろんDD51ディーゼル機関車にとっても難所で、峠越えのときはスピードダウンしていました。今の石勝線も勾配はあるでしょうが、歴史の浅い路線なので精々12‰程度では。そもそも石勝線に含まれる上落合(信)~新得間の新ルートの勾配がその程度なので。北海道時代はキハ56系はよく乗りましたし車内販売から食べ物も買いましたが、キハ183系は北海道時代は乗らず北海道を離れてから3回乗っただけです。最も新しく乗ったのは7年前の特急「オホーツク8号」で、北見から札幌に向かう際でした。遠軽から上川を通る際にシカに列車を止められて札幌着が遅れましたが、今は当列車で廃止された車内販売で「かにめし」を買ってビールと共に食せて、今では貴重な思い出です。
  1. 2017/02/21(火) 00:02:56 |
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  3. trainrio #-
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