trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

(かこさとし先生追悼)かこさとしの絵本の思い出

西城秀樹さん、朝丘雪路さんその他有名人の訃報が相次ぎ、今年に入って誰が亡くなったのか覚え切れないくらいですが、その中でも僕たちが幼稚園保育園小学校時代に親しんできたであろう絵本シリーズでおなじみだった、かこさとし先生が先月92歳にて逝去されました。
90歳を過ぎてもなお創作活動に意欲を燃やしていたその様子は、まだその半分くらいの年の僕も尊敬の念をいだきますが、氏の絵本には幼少時から親しみ、知識欲を駆り立てられました。
作品も広く読みましたが、その中で、自身が印象に残った作品の思い出を。

「かわ」
川が山の雪解け水から渓流となり、上流・中流・下流となって最後に大海に注ぐ様が横とじの続き絵になって描かれでいますが、上流から中流にかけては沿岸に森林が、中流では田舎の学校や神社その他街の風景が、そして下流では都会の住宅地やビル街、埋め立て地の臨海工業地帯が広がって、最後は青く大きな海が広がる構成になっています。
森林が続く場面では、小型のディーゼル機関車が丸太を積んだ貨車2両を引く絵が描かれていて
「ざいもくをはこぶしんりんきどう」
のキャプションがあり、その線路が田舎の街まで続き、貯木場の引込線に丸太を積んだ貨車が止まっていた絵と共に釘付けになりました。
本作は北見の保育園にもありましたが、初めて札幌の伯父宅に行ったときに従兄の部屋にあったのを見せてもらい、先の森林軌道の運材列車見たさに、後年小学校に入ったときに買ってもらいました。

「ゆきのひ」
その名の通り、雪が降ってきたときのことを描いたもので、おそらく新潟県と思われる場所で、子供達が積雪の中スキーやスケートを楽しみ、主人公がお兄さんのオート三輪に乗ってスキー場に牛乳と玉子を届けたり、お母さんが街に買い物に出て、家族のために靴下や海産物等を買ったりしますが、それから豪雪となり、列車が不通となって、夜の暗い中蒸気機関車に押されたロータリー車で除雪作業をし、主人公もお父さんやおじいちゃんと共にスコップやシャベルを持って作業を手伝い、夜が明けてやっと線路が通じて蒸気機関車が引く列車の汽笛の音が遠くに聞こえて、主人公が自宅で家族たちと安らぐというものです。
汽車が出てくるシーンももちろんですが、オート三輪で牛乳と玉子を届けるシーン、お母さんが買い物に出た街の道路に融雪用のスプリンクラーが水を噴出していたシーン、そしてわら靴にかんじきと、特にスプリンクラーとわら靴かんじきは北海道で見ないだけに、どこがモチーフなのかと思いましたが、後年新潟県、特に長岡市辺りではないかとわかりました。
本作も先の「かわ」と共に保育園にもありましたが、汽車が出てくるのでこちらも買ってもらいました。

「とこちゃんはどこ?」
おばあちゃんに買ってもらった赤い帽子をいつもかぶっている男の子「とこちゃん」が、お母さんと買い物に行くと目を離したすきにたい焼き屋さんに行ったり、おばあちゃんとお祭りに行くと一人で勝手にお面屋さんに行ったり、お父さんと動物園に行くとまたしても一人でお猿さんのところに行ったりと、ヒヤヒヤさせるもので、最後小学校に入るための服を買いにデパートに行ったときは、どこに行ったかと思ったら、最上階の6階の食堂にいて、アイスクリームをごちそうになり、帰りは両親してとこちゃんの手を離さずに帰る、ほのぼのしたものです。
商店街やお祭りの会場、動物園そしてデパート内のシーンで大勢の客たちがひしめく中からとこちゃんを読者に探し出させる構成は、まさに世界で人気の「ウォーリーをさがせ!」そのものです。
保育園で初めて読みまして、タイトルから当時放送されていた「ケンちゃんシリーズ」のケンちゃんの妹「トコちゃん」を思い出しましたが、同じ「とこちゃん」でも本作は男の子で、「トコちゃん」以上に印象に残りました。
それから大学生になり、いろいろ傷付いたときに、「ひとまねこざる」シリーズと共に本作を久々に目にし、心がいやされました。

他にも「だるまちゃんシリーズ」「どろぼうがっこう」「へへんの十どん」「こどものカレンダー」「はははのはなし」等、保育園や小学校、図書館バスで氏の絵本に触れてきて、言葉で表し切れないくらいに楽しませてもらいました。
氏の絵本は、これからも世代を超えて多くの方たちに親しまれることでしょう。
かこ先生、どうか安らかにお眠りください。そして遠い空からいつまでも僕たちを見守ってください。合掌。
  1. 2018/06/02(土) 11:06:50|
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転校の危機

再び札幌時代の初めに。

札幌に住んで丸2ヶ月になり、授業やクラスに慣れ、このまま新琴似で暮らすものと思っていましたが、そんな78年2月の初旬、僕の住む部屋の2階から水漏れがあり、新聞紙やボロ切れを敷いて水を吸い取りました。
水漏れはその後も数回続きましたが、親が上の住人に改善を促したものの反論されるばかりでらちが開かず、引っ越すことになりました。
しかし当初は新琴似小学校の区域から他校の区域へ引っ越すかという話になり、せっかく学校に慣れたのに、引っ越すならともかくまた転校するのは嫌だと、寝るときに布団に入り泣きました。
妹がそのことを母に言い、慌てた母になだめられてどうにか収まり、父も後日
「済まない」
と謝っていました。

僕が泣いて抵抗したのが功を奏したのか、他校の区域でなく、マンションに近い、同じ大家さんが所有する、道内で60年代から主流だった、三角屋根で二世帯が住める住宅に空き部屋があったので、そっちに引っ越すことになりました。
学校も変わらず、すぐ近くで環境も大きく変わらなくて済むので、僕のみならず家族全員して安心しました。
  1. 2018/05/12(土) 04:52:17|
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(祖母追悼)祖母の一年祭⑥

一年祭を終え、思わぬサプライズで網走湖畔に泊まることになり、カニやシジミ、刺身に舌鼓を打ち、ゲームや花札に興じ、まだ歴史の浅い温泉につかった至福の夜が明けて、2月12日の振替休日の朝を迎えました。
全員して起きて、1階のレストランに行き、バイキング形式の朝食を食べました。
和洋中いろんなメニューがありましたが、僕はソーセージや炒り卵、パン、牛乳、オレンジジュース、ケーキ、杏仁豆腐、カレーライスと、好きなものを少しずつ取って、もう二度と泊まることはなかろうホテルで最後の食事を堪能しました。
そして、僕は、朝9時半の飛行機に乗るので、ホテル前のバス停を8時に出る路線バスで女満別空港に向かいました。
ホテルを出る前に伯母や従兄たちに別れを告げ、母がバス停まで見送りに来てくれました。
バス停で待っている間、すぐそばをJR石北本線が通っていて、網走発の特急「大雪」が旭川に向かって走って行きました。
ようやくバスが来て、母に送られて網走湖荘を後にし空港に向かいました。呼人駅、JRの跨線橋、39号線沿いの森林や雪に覆われた畑や牧草地の光景を目に焼き付けて、空港に着き、ホテルで買ったお土産の白い恋人やじゃがポックルを抱え、9時半の飛行機で女満別を後にしました。
窓から見える北海道の光景を焼き付けて、イヤホンで昭和の懐かしい曲や子供向けのアニメソング、童謡その他に感動しながら、正午過ぎに無事羽田に着き、京急で帰宅しました。

母と看護師の上の甥は僕より遅い午後の飛行機でそれぞれ羽田と名古屋へ、自衛隊員の下の甥は自分の車で千歳に帰りました。3日間のせわしい日程でしたが、久々の故郷・北見はもう1日か2日とどまっていたいくらいでした。
  1. 2018/04/22(日) 05:04:42|
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(祖母追悼)祖母の一年祭⑤

網走湖荘に着き、フロントで鍵をもらい各自の部屋に入り、備え付けのお茶とお菓子を食べて、窓から湖面が結氷した網走湖を眺めました。湖の向こうに、小さなカラフルなテントがいくつも並んでいました。分厚い氷に穴を開けて、ワカサギ釣りを楽しんでいる人たちのようでした。
これまで網走湖を訪れたのは夏ばかりで、冬は釧路の小学校時代の冬休みに北見に行った際に列車でそばを通っただけでしたが、今回は初めて訪れたのみならず、宿泊を伴いました。
部屋は3つに分かれまして、上の従兄SGさん一家4人、下の従兄FOさん夫妻、そして伯母と母と僕の3人組でした。
日曜に休んだり早く帰宅することがなくて見れないでいた「笑点」を、実に8年振りに見、一昨年大喜利メンバーから抜擢された春風亭昇太さんの司会で、恒例の大喜利にのめりました。
「笑点」が終わって、夕食までまだ間があったので、大浴場へ行きました。網走湖荘は温泉浴場でありますが、ホテルの歴史は半世紀ながら、網走湖に温泉が湧いたのはそれよりもまだ歴史の浅い37年前の81年のことで、札幌の中学に入り、北見に3回行きながら、全く当時は網走湖温泉のことなど知りませんでした。
初めてつかった網走湖温泉の湯は透明で、首都圏の温泉銭湯でよく見られる黒湯と違いサラサラした白湯で、一見すると普通の湯かと思いましたが、しっかり成分の証明がありました。
湯から上がるとちょうど夕食の用意ができたので、9人して僕たちの大広間に行き、好きな席に座り、夕食にありつきました。
観光ホテルの夕食では大方定番のお造りは、脂の乗りに舌鼓を打ち、網走産のタラバガニの脚や甲羅の身やミソをほじくり、カニの味噌汁で汁とカニの身を殻からすすり、ご飯はこれも網走湖名物のシジミの炊き込みご飯と、網走らしくカニとシジミ中心のメニューが目白押しで、観光ホテルにそうそう泊まらないだけに、至福のひとときでした。
夕食が終わるとゲームコーナーに行き、温泉旅館に大体付き物の卓球を母や伯母、甥のSS君やKS君たちとやったり、僕個人でピンボール、従兄のSGさんがパチンコやスロットを楽しみました。
一度各部屋に戻ると、今度は僕の部屋にみんなして集まり、花札に興じました。
花札は伯母たちのところに泊まったときの定番ですが、僕は長らく北見に帰れなかっただけに、札幌の中学1年の年末年始以来実に36年振りでした。
勝負事の苦手な僕は程々のところで下りましたが、下の甥のKS君は絶好調で、SS君や両親のSGさんSHさんを置いて、堂々の独り勝ちでした。
花札が終わりそれぞれの部屋に戻り、母と伯母とビールで一杯やって、翌日に備えて床につきました。
  1. 2018/04/07(土) 23:38:43|
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(祖母追悼)祖母の一年祭④

柏陽駅そばのおそば屋さん「秋乃家」を出、端野や緋牛内を過ぎて女満別空港に至るバイパスに入ると、外は雪が強くなりました。緋牛内からバイパス入口までJRが並走し、2両編成のディーゼルカーが通過しました。
バイパス内での雪の激しさにスリップしないかと冷や冷やしましたが、KS君の運転は雪道に慣れているだけにお手の物でした。
空港近くから再び39号線の本ルートに入ると、北見の保育園時代の夏の親子旅行で北見から網走までずっと39号線を走ったことが思い出されました。
雪に閉ざされた畑や牧場が沿道に広がり、小高い山や森林が見えたところでJRの跨線橋を渡り、呼人駅や松尾ジンギスカンの店が右手に見え、網走刑務所近くの、常呂方面からの道路と合流するT字路を右折して網走湖を左に、JRを右に望む懐かしい車窓が見えたところで、僕たちが泊まる「ホテル網走湖荘」に着きました。
網走湖荘は半世紀の歴史があるホテルですが、JRや国道で何度か横を通りながら全く気付かず、今回伯母たちからのサプライズで初めて泊まることになりました。
そもそも泊まったことがなくいつも日帰りで、保育園の親子旅行での休憩で立ち寄ったり、同じく保育園時代に伯母たちと泳ぎに行った思い出が詰まった場所だけに、44年振りに訪れかつ初めて泊まる網走湖は、ますます何が出てくるか楽しみになってきました。

  1. 2018/04/01(日) 19:14:58|
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