trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

帯広の伯母との再会

日付や状況がうろ覚えで正確さは保証できませんが、お邪魔したのは確かで、休み等の兼ね合いでしっくりするので、文中の日付にしておきます。

77年12月2日の札幌での初登校から帰宅すると、母が
「帯広にいたOCさんのところに行くよ」
というので、母と祖母と妹の4人で、僕たちよりも一足先に帯広から札幌に引っ越した、伯母OCさんの家にお邪魔しました。
当時はまだ地下鉄が北24条までで、新琴似にいる僕たちは新琴似小学校向かいの新琴似神社そばのバス停から札幌駅前行きのバスに乗って、地下鉄の北18条駅と北海道大学に近い伯母宅に着きました。一軒家の借家でしたが、周囲に木々があり、あたかも持ち家かのような洋風の家でした。
伯母は帯広時代はほぼ毎年北見に行っていたようで祖母もその度に会っていましたが、僕と母と妹は2年振りの再会で、釧路時代に帯広にお邪魔したことや夏休みに札幌と北見、秋に再び北見に行った話で盛り上がりました。従姉のYKさんも現れ、夕食をごちそうになっていると、ご主人が帰宅し、盛り上がりは更に増しました。
夜も遅くなったので、母と祖母はバスで帰宅しましたが、僕と妹は翌日開校記念日でお休みで、2年振りの再会ということもあり、せっかくだからということで泊まっていきました。
YKさんの部屋に入ると受験を控えて勉強していましたが、勉強しながら話をしてくれました。振ると赤ちゃんのガラガラみたいに鳴る陶器のおもちゃがあり、絵柄を見ると、何か特徴のある人の絵と思ったら、吹き出しに
「やなせたかし」
とあったので、納得しました。妹が買って読んでいた「小学一年生」のマンガや釧路の小学校2年のときの読み聞かせ会で読んでもらった「あんぱんまん」で氏の作品は見ていましたが、「ガラガラ」みたいなおもちゃの絵も描いていたのに驚きもし、喜びもしました。

一夜明けて開校記念日でお休みの12月3日を迎え、朝ごはんをごちそうになりご主人とYKさん、そして従兄のTMさんが出勤や登校すると、僕と妹は伯母に、YKさんが小さいときに読んでいた本を見せてくれました。
「キンダーブック」やかこさとし先生作の「こどものカレンダー」等、北見の保育園時代や釧路の図書館バスで借りて読んだ本がたくさんあって、むさぼるように読みました。
昼過ぎになるとお昼ご飯を軽くごちそうになったほか、裏の庭に植えていたイチゴを一緒に採って、食べさせてくれました。今までスーパーで買ったのを食べたことしかなかっただけに、雪に埋もれた中で採ったイチゴの味は、多少未熟で緑がかったところこそあれ、格別でした。
夕方になると、夕食にハンバーグを作ってくれました。手作りなだけでなく鉄板で焼き、その鉄板を専用の木の板に載せただけに、普通に焼いて皿に載せるのと違い熱々で、おいしさが段違いで、あたかも高級レストランの味かのようでした。
夕食も終え、妹と一緒に帰ることになり、最寄のバス停から石狩町の花川方面に向かうバスに、伯母に見送られて乗りました。通常なら前と中に扉がある車両のはずが、長距離向けに前扉のみでリクライニングシートの車両で、ちょっとした旅行気分でした。
伯母から電話で聞いたようで、新琴似小学校前のバス停で降りると、母が迎えに来ていました。前日に積もった雪道を歩いて帰宅し、土曜日だったので「ジャッカー電撃隊」と「全員集合」を見て、翌日祖母を見送るのに備えて眠りに就きました。
  1. 2017/02/21(火) 18:29:16|
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札幌での初登校

札幌は新琴似の新居初日が明けて12月2日の金曜日になり、父も札幌の職場へ初出勤し、続いて僕と妹が母と一緒に自宅近くの新琴似小学校に向かいました。前日母が北区役所へ転入手続きに行った際に学校のことも確認して、僕と妹の通学先が新琴似小学校なのを確認し、明けて当日登校しました。
前日と打って変わり、雪が降っていて、道は一面真っ白でした。学校に着くとまず職員室に入り、少しして、僕の担任のTN先生が来て、3年1組に編入しました。妹は1年1組で担任はTM先生になり、それぞれの教室に向かいました。
教室に向かうとき、校舎が釧路時代の鉄筋コンクリートでなく木造モルタルだったので、TN先生に
「いつ頃開校したんですか?」
と聞くと
「明治時代だよ」
と答えたので、びっくりしました。ちょうどその年、学校は開校90周年で、転入前に全校挙げて記念行事があったようで、妹の学年のSB先生により記念の曲が作られたほどでした。
緊張の中、教室に入ると、クラスの人たちがみんなしてわあわあ驚いて、何より僕が太っていて体が大きかったので、より一層騒ぎました。
学級代表のHY君とSKさんが前に出て朝礼が始まり、諸連絡の後自己紹介をし、自分の名前と釧路から来たことを話しました。
体が大きかったので、男子の一人が
「野球はするのか」
と聞いたので
「いいえ」
と返すと
「ダメだ、野球やれ」
と言ったので、クラスで大笑いしました。
やんややんやの喝采で朝礼と自己紹介が終わり、席に着いて授業に入りました。
僕の席は、右隣にCK君、前左にNEさん、前右にTG君、後ろ左にクラスのリーダー格で僕に「野球やれ」と言ったOB君、後ろ右にKB君がいました。算数の授業で「重さ」をやりましたが、釧路では「重さ」は2学期の頭に習ったのでダブって習うことになりました。
聞けば、教科書は札幌では算数と図画工作だけ違って、他は釧路と同じでした。また社会科では教科書以外に、釧路での「くしろ」に相当する「さっぽろの歩み」の「歴史編」と「地理編」の2冊と、地元新琴似のことを学ぶ「新琴似のあゆみ」という副教材を3・4年の2年間で学習することになっていました。
2時間目と3時間目の間の30分休みに、OB君始めクラスの人たちが僕に校内を案内してくれました。他の学年の教室やら音楽室、理科室、調理室に続いて図書室に入り、大好きな鉄道の本をむさぼるように読むとみんなが驚き、先生に話すと先生も驚きました。図書室には他にエジソンや野口英世等の伝記の本もありましたが、前の釧路の学校の図書室は伝記の本がとても少なく、一度国語の授業で図書室で伝記の本を各自で借りて読んだときに、僕を含めて大多数が伝記の本を借りられず、やむなく鎌倉時代の歴史の本を借りて理解に苦しんだ思い出があっただけに、伝記の蔵書の多さに驚きもし、喜びもしました。
4時間目が終わり給食に入ると、その日は煮込みうどんが出ました。他校から運んでくるのでなしに自校で作るだけに温かさが段違いな上、釧路で食べた煮込みうどんに比べ味が濃い気がしました。
給食後の休憩時にもOB君たちが校内を案内してくれ、5・6時間目の授業が済んで終礼の後、教室の掃除を教えてもらって、帰宅しました。緊張で始まった札幌の学校での初日でしたが、旅行と違って生活そして通学するだけに、見るもの聞くもの一時的に滞在するのとは違った新鮮さがあり、この後どれだけ僕の好奇心が刺激されることか計り知れませんでした。
  1. 2017/02/05(日) 18:41:10|
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札幌暮らしの始まり

父の会社の健保会館での一夜が明けてちょうど12月1日で冬に入り、朝食を済ませて朝9時くらいにチェックアウトして、迎えに来てくれた会社の車で、新居に向かいました。
どんなところかなと、車内でワクワクしましたが、着いたところは、北区の新琴似という場所で、二階建てマンションの一階で、マンションすぐ横の道路をまっすぐ5分くらい歩くと、国鉄札沼線の新琴似駅にぶつかる、鉄道好きの僕には実に好立地な住まいでした。
ちょうどトラックが着いて、作業員さんたちと一緒に荷物を部屋に運び、ある程度整理して、空いたスペースにみんなして輪になって座り、父たちはビールを、僕と妹はソフトドリンクでお菓子やおつまみを食べながら話しました。
父たちもビールが回ってにぎやかになったころ、前年に同じ「おおぞら2号」で札幌に転勤した、MKさんがあいさつに来ました。同じ北区に住んでいたので、父には一層心強かったと思います。
会社の人たちが帰って、再び荷物を整理し、5人なのでまだ明るいうちに片付いて、すぐ寝られる状態になったところで、僕は新琴似駅がどんなところか見たくて、家族に一声かけて駅まで行きました。
駅から近いところに住むのは、北見時代以来でしたが、新琴似駅は当時は木造モルタルの平屋で、駅舎は線路の向こうの麻生側にあり、踏切を渡って行かなくてはなりませんでした。今のように線路沿いに柵がなく、自宅側の島式ホームに外から入れて、周囲を見回しましたが、駅舎側のホームを歩いていた駅員にたしなめられたので、ホームを出て帰宅しました。
それから祖母に留守番を頼んで、線路を渡ってすぐのところにある、「ニトリ家具」という家具店に4人して行きました。
せっかく札幌に来て比較的広い部屋なので、ダイニングテーブルを買いたかったようで、木製の4人掛けのテーブルを買いました。帰宅して、トラックでテーブルが届き、椅子を置いて添付のネジでテーブルを組み立て、まさに心機一転のスタートになりました。

「ニトリ家具」、買いに行った店は麻生店で、当時の本社は中央区であり、札幌市内のみの展開でしたが、今や「ニトリ」として全道から日本全国そして海外にも展開し、その麻生店が今や本社になるなど当時は想像もしませんでした。
  1. 2017/01/19(木) 13:32:09|
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その他もろもろ⑤

初めに、明けましておめでとうございます。
おかげさまをもちまして、このブログも開始から2年になりました。今後とも御指導ごべんたつの程、よろしくお願い申し上げます。

「その他もろもろ」も釧路時代最後になりました。
話はさかのぼって小学校1年の3学期の2月と思いますが、ある土曜日、午前中で学校が終わって帰宅し、午後3時くらいに、父と一緒に会社の人たちと釣りに行きました。
会社のHSさんとその上の息子さん、OTさんがHSさんの運転する車で迎えに来まして、合わせて5人で、釧路町の更に北に接する標茶町にある、今や釧路湿原国立公園と一体を成すかのような、塘路湖に行きました。
冬の厳寒だけに湖面は分厚く結氷していまして、車が氷上にそのまま乗り入れられました。
ドリルで釣り用の穴を開けて、エンジンをかけたままライトを付けて明かりにし、父たちが釣り糸を垂れました。僕はHSさんの息子さんと一緒に釣りの様子を見たり、父たちと交替で車内で暖を取ったりしました。
混雑を避けたのか釣果がいいのか、薄暗くなる4時から始めまして、それこそ暗い中での穴釣りでしたが、釣り客は僕たちだけで、他には若い男性がスケートをしていただけでした。
6時を回って帰宅することになり、トレイを見ると、細くて短い銀色の魚がたくさん釣れまして、父と3人で分けて持ち帰りました。

3年になって最初の始業式の日に、あいさつがてら担任の先生が、冬に氷の上で釣りをした話をしたので、それに乗っかり僕も先の塘路湖での釣りの話をしたところ、1・2年で1組だったKC君が
「その魚、ピカピカしていたろ」
と聞いてきたので、そうと答え、先生の話と相まって、その魚がワカサギと知りました。

再び3年の秋で、クラスで給食での偏食や運動オンチを責められて肩身の狭い思いをしていたころ、学校帰りに、1・2年で同じ5君だった、5組のTB君と一緒になりました。
肩身の狭い思いをしているのを知って、TB君が
「KC君やKK君、うちらと同じクラスだったKN君たちがいじめるから嫌だろう」
と、僕の身を案じてくれました。
TB君はお父さんが国鉄マンで、僕の鉄道好きをよく知っていて、かつ成績優秀スポーツ万能で、クラスでは常にリーダー的存在でした。時に僕の運動オンチ振りをバカにしたこともありましたが、それでも先の肩身の狭い状況を案じてくれて、心が軽くなりました。
  1. 2017/01/08(日) 17:28:09|
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北見から祖母が来る

前回のブログの追加で、小学校2年の6月かそのくらいの日曜日、NHKの夜6時50分の天気予報を見まして、全国の概況後の各地の天気で道内の天気予報が流れ、そのときのバックの画像で釧路市内の風景が流れまして、ちょうど中盤で釧路臨港鉄道の貨物列車がゆっくりと走る風景が出て、くぎ付けになりました。
当鉄道は石炭列車が主流ですが、当時は一般の貨物も扱っていて、映った貨物列車は箱型の貨車に屋根無しの平たい貨車、タンク車から成る普通の貨物列車で、オレンジ色のディーゼル機関車に引かれていました。専用の石炭列車よりも、国鉄でもよく見られた、いろんな貨車を連結した貨物列車の方が好きなだけに、もっと見ていたいくらいでした。

サイクリングやら市内見学やら旅行やら観劇やら、楽しいことが続いた釧路での小学校3年生も転勤まで後3日と迫った11月27日の日曜日、北見から母方の祖母が引越しの手伝いに列車で来ました。祖母は4月末の市内での引越し時にも手伝いに来てくれましたが、僕たちが釧路に住んでから引越し以外にも3度伯母たちと来てくれて、かれこれ5回目の釧路でした。
それまで少しずつ荷造りはしていましたが、祖母が来れば百人力と言わんばかりに一層荷造りがはかどりました。日曜だったので隣のスーパータイスイへの買い物以外は家族して出かけることなく荷造りに精を出し、布団等最低限の必需品以外は完了して、夕食と団らんを過ごして床につきました。

翌28日の月曜は、学校から帰ると父が母を連れて会社のライトバンで職場の同僚や取引先に挨拶回りに出たので、僕と妹と祖母とで留守番をしました。
祖母にタイスイにチョコレートを買いに行かせて出掛ける前の母から叱られましたが、すぐ隣だったので無事に帰宅して不二家のチョコレートにありつきました。
留守番の間、祖母が持ってきた毛糸であやとりをしていまして、その糸で手品をしたりして、両親の帰りを待ちました。
挨拶回りを終えて両親が帰宅して、店屋物だったかスーパーの出来合いのもので夕食を済ませ、テレビを見て、自宅での最後の夜を過ごしました。
  1. 2016/12/27(火) 18:35:35|
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