trainrioの世界

鉄道ファンの私、trainrioが、独自の鉄道趣味の世界を書いてゆきます。

(番外編)初めての稚内③

名寄に着く少し前ですが、車窓右手の、廃止されたJR名寄本線(名寄~興部~紋別~中湧別~遠軽)の線路跡に、かつて名寄本線や宗谷本線で冬の除雪作業に活躍した
「キマロキ」
という列車が展示されているのが見えました。線路跡の周辺は「北国博物館」として、公園や列車の資料が展示されています。
「キマロキ」というのは
キ=機関車(ここでは9600形蒸気機関車)
マ=マックレー車。羽を両脇に広げて雪をかき集め、線路上にまとめて置く鉄道の除雪車両。
ロ=ロータリー車。前面の回転式の羽を回転させて雪をかき集め、排雪口から遠くに飛ばす除雪車両。
キ=機関車(ここではD51形蒸気機関車)
の順番で編成された除雪列車のことで、冬の北海道では線路に雪が高く積もることが度々で、一般の列車が立ち往生しがちだったので、少しでも運行できるように、こういう除雪列車が運転されました。
「キマロキ」となっていますが、実際には最後の「キ」の後ろに、除雪作業員を乗せるために、普段は貨物列車に連結されて車掌が乗る「車掌車」が連結されています。

本題で、初めて名寄に着いたときは、外は薄暗くなっていました。改札に入ったときは「みどりの窓口」がちょうど19時で閉まったばかりで、僕たちが入ったのを最後に以後は駅員不在になりました。北海道に限らず全国の地方駅には、いわゆる合理化で、駅員配置が例えば7~19時というように、利用客が多い時間帯に限って駅員を配置するところが多くなりましたが、昔はどの駅員配置駅も、始発から終着まで駅員がいたものでした。

駅前の商店街は、多くが空き店舗で、店があっても19時で閉店ばかりで、後は全国チェーンのコンビニで買い物するしかなく、名寄らしい店を味わうに味わえませんでした。親戚や顔見知りも誰一人いず、寂しいところでしたが、それでも、列車の待ち時間に、かねがね知っていた名寄名物の「煮込みジンギスカン」を食べに、良さそうな居酒屋を探しました。
最初に見つけた飲み屋さんには煮込みジンギスカンはなく、路地に入った店を教えてもらい、ようやくその店で熱々の鉄板で焼かれた、煮込みジンギスカンにありつきました。
ジンギスカンは通常は専用のジンギスカン鍋や鉄板、網で焼きますが、この煮込みジンギスカンは、肉を、漬け込んだタレごと鍋で、玉ねぎや白菜等の野菜やうどんと一緒に煮込むもので、いわゆる「B級グルメ」として「知る人ぞ知る」地域の名物料理の一つとなっています。
噂にたがわず料理は肉を漬け込んだタレが野菜やうどんによく染みて、ご飯やお酒が進むのもうなずけました。チューハイと日本酒を同時に注文しましたが、その日名寄に宿を取っていれば、もっと料理を堪能したいほどでした。
居酒屋を出、駅前を歩き回ると、昔の木造建築があちこちに残っていて、故郷の北見さながらでした。

駅員不在になった名寄駅に戻ると、駅舎左側の待合室は僕を含めて3人だけで、だだっ広い中に明かりがこうこうと付いて、テレビが一人でしゃべっているかのように音声を発していました。ベンチには地元名寄の高校生が作ってくれた座布団が一席残らず置かれ、利用客への気遣いが伝わりました。
木造駅舎、駅舎入口真上の時計、駅舎内左側の待合室、右側のみどりの窓口……どこかに似ていると思ったら、故郷の北見駅の昔の駅舎によく似ていました。
駅舎外左側にコンテナホーム、駅裏に車両基地があるところも北見駅と同じで、昔の北見にタイムスリップしたような気分でした。

21時03分に下り最終の特急「サロベツ3号」に乗り、その後は途中駅の美深や音威子府等を見たいと思いつつ、夜行バスでの疲れもあって席を倒して熟睡し、本来23時47分のところが列車が途中遅れたようで、日付変わって0時過ぎに、念願の日本最北端の駅・稚内に初めて着きました。
稚内も名寄同様、夜間は駅員不在で、無人の改札を抜けて駅正面に出ました。話には聞いていましたが、稚内駅は2012年にリニューアルされ、道の駅とバスターミナル、そしてみなとオアシスを兼ねていて、空以外の稚内の交通の玄関が集約されていました。
  1. 2017/08/04(金) 17:02:48|
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札幌で初めてのクリスマスプレゼントと終業式

見るものすべてが新鮮な札幌の生活が一月になろうとし、年の瀬も押し迫った12月23日の金曜日、翌日のクリスマスイブを控えて、母にプレゼントを買ってもらいました。
学校から帰り、夕方その年開店したダイエー麻生店に行き、僕はその年発売が始まってCMでも盛んに宣伝していた「ポンジャン」を、妹はこれもその年発売で、電球で白いボードを照らしてファッションパターンを上に重ねた紙の上から鉛筆でなぞる「ファッションデザイナー」を、買ってもらいました。
帰宅して箱を開き、卓とパイと点数チップを取り出し、母と妹と3人して、手を参考に楽しみました。
本格的な麻雀はまだ知りませんでしたが、赤・青・黒の3色とクラシックカー・馬車・馬の3種類の組み合わせで合わせて9種類のパイがあり、その9種類が全部揃った手を最高に、様々な手があり、捨てパイを「チー」「ポン」で拾って上がりに近付く緊張感がこたえられませんでした。
以後、親戚や友人が家に来る度に、数え切れないほど「ポンジャン」の世話になりました。

翌24日の土曜日に2学期の終業式を迎え、釧路時代の
「よい・ふつう・がんばろう」
の3段階評価から
「5・4・3・2・1」
の5段階評価になった通知表を受け取り、「3」が大方で「4」と「2」がぽつりぽつりの成績に心を曇らせつつも、翌日から始まる冬休みにウキウキしながら帰宅しました。

12月23日が皇太子殿下(当時)の誕生日で、その日が丸12年後の同じ巳年に天皇誕生日になることなど、当時は知る由もありませんでした。
  1. 2017/06/10(土) 21:50:03|
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人生初の牛肉

初めての狸小路の翌12月18日の日曜日、今度は夕食に家族して初めて牛肉を焼いて食べました。
それまで街へ行ったときに洋食屋さんやデパートの食堂で、また北見時代に食べたボンカレー等でカレーを食べたときに牛肉を食べたことはありましたが、それ以外はジンギスカンや鉄板焼き、トンテキ、唐揚げと、豚・羊・鶏ばかりで、高い牛肉は思いもよりませんでした。
しかし、札幌に住んで、見るもの聞くものすべてが新鮮で子供ながら生意気にも目が肥えてきて、テレビか本か何かで牛肉の焼肉を見たためと思いますが
「牛肉が食べたい」
と何度か口にしまして、両親がその思いを酌んだのか、その日スーパーで焼肉用の牛肉を買ってきてくれて、夕方に玉ねぎと共に、当時流行り始めた電気式ホットプレートで焼いて食べました。
いつもなら日曜の夕食時はテレビで「笑点」等を見ながら食べるところを、珍しくテレビも付けずに牛肉と玉ねぎにみんなして夢中になりました。何せ今まで安い豚・羊・鶏の肉ばかりだったのが奮発して高い牛肉で、さすがにうまさは他の肉とは段違いで、それこそ
「今のうちに味わわないと、次はいつ食べられるかわからない」
という思いでした。
最後にわずかに残った肉と玉ねぎを取って、ホットプレートが空になったところで、父が
「終わり!」
と言って締めましたが、その表情が渋さと笑顔が混じっていて、決して楽ではない家計からいかにやり繰りして高い牛肉を買ったかが肌で感じられました。

狸小路での食事に続き人生初めての牛焼肉と、この後札幌でどれだけ目が肥えて心がぜいたくになってゆくか、知れたものではありませんでした。
  1. 2017/04/20(木) 20:21:08|
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初めての狸小路

札幌に移り、近くの親類たちと再会し、学校にも慣れてきた12月17日の土曜日、家族して初めて札幌の有名な商店街・狸小路に行きました。
土曜日なので僕も妹も午前で授業が終わって帰宅し、父も半ドンで昼過ぎに帰宅して、支度して新琴似小学校前のバス停からバスで北24条駅まで行き、地下鉄南北線ですすきので降りて、度々テレビで見たすすきのの繁華街のネオン輝く交差点を渡り、テレビのお買い物案内で何度も耳にしていた狸小路商店街のアーケードをくぐりました。
通りの両側に昔ながらの食料品店・薬局・和菓子屋・刃物店・飲み屋・食堂がずらりと建ち並び
「さすが北の都!」
と感嘆するばかりでした。
アーケード下をひたすら歩き、ちょうど夕方5時ごろで夕食時でどこか食べるところはと探すと、古い木造2階建てで軒上に狸の絵の看板が大きく掛かっていた
「ぽんぽこ」
という料理店に入りました。
天ぷらやカニ、鍋物が中心の郷土料理店でしたが、メニューを見るととんかつもあり、両親と妹が天ぷら定食を頼む中で僕はとんかつ定食を頼みました。
料理が来るまで家族して学校のことや会社のこと、ご近所さんのことその他もろもろでおしゃべりにふけると、僕の注文したとんかつ定食が先に来て、待ちかねたようにむしゃぶりつきました。追って残りの天ぷら定食も来て、家族全員で食事にありつきました。
とんかつだけにキャベツの千切りも付いていましたが、以前は給食のキャベツを残していたくらいだったのがとんかつと共にすっかり平らげ、父に
「キャベツも食べるようになってえらいな」
と褒められました。
全員して食事が済み、店そして商店街のアーケードを抜けてタクシーで帰宅すると夜7時を回り、NHKニュース→ジャッカー電撃隊→8時だヨ!全員集合を見て眠りに就きましたが、初めての狸小路はアーケード下を歩くだけでもワクワクしたのに、夕方なのもあって料理店で食事もしたので、これから札幌で次から次へと楽しいことがありそうな予感を強く覚えました。
  1. 2017/04/15(土) 22:46:33|
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札幌の暮らしに慣れてきましたが…

その慣れが元か、級友に対して反抗や口答えを知らずにするようになり、
「転校生のくせに生意気だ」
の悪評が立ってしまいました。いけないと思い引っ込めてもしばらくするとまたその生意気さが出ていがみ合いになり、今思えば甘えていたと恥ずかしいばかりですが、それでも何となく僕を受け入れてくれる懐深いムードがあり、これまでにない学校での安心感を十分に覚えました。

そんな中、学校から帰って吹雪の中、明るいうちに一人で外に出て、今のようにマンションが立ち並ぶことなど考えられなかった新琴似駅裏の空地を、札沼線の列車を見ながらただ歩き回っていました。
すると、空地の向こうから僕の名前を呼んで誰かが向かって来たので、振り向いて誰だろうと思ったら
「俺だよ」
と、同級生のSB君が毛糸の帽子を脱いで顔を見せました。何をしているのか聞いたので、列車を見ながら空地を歩き回っていることを話し、しばらく吹雪の中で話しました。後にSB君も僕と同じ条丁目に住んでいるのを知りましたが、生意気と言われいがみ合う中でのクラスの懐の深さが表れていて、ますます安心感と喜びを覚えました。
  1. 2017/03/30(木) 00:05:16|
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